※本稿は、サーシャ・バイン『心を強くする 「世界一のメンタル」50のルール』(飛鳥新社)の一部を再編集したものです。
私が自殺を思いとどまれた理由
最近、古い日記を読み返していて、泣きたくなった。痛切な箇所が二つあったからだ。
一つは私を子供の頃のつらい時期に即座につれもどした。当時の不安、疑惑、暗い衝動がよみがえってきた。もう一つの箇所も同じようにつらくて、悲しかった。それは、13歳の私が自殺しようかと思ったときの記述だったから。
私はもともと多感な人間だ。あれから20年後にそのくだりを読み返してみて、あのときの自殺願望は本物だったのだとあらためて思う。そのくだりのインクの文字はぼやけていた。涙を流しながら書いていたからだ。
もしあのまま家から逃げだして自殺していたら、周囲は大騒ぎになって、愛する家族はバラバラになっていただろう。父と母は罪悪感に苦しめられたにちがいない。だが、13歳の少年に、そこまで見通せたはずがない。あのときの私は、もうだめだ、という絶望感に圧倒されていた。当時、父と母は激しく反目し合っていて、私は、それがすべて自分の責任だと思いこんでいたのである。
日記の末尾には署名もしていた
あの頃、父はすべてを犠牲にして、私を一流のテニスプレーヤーに育てあげることに熱中していた。そのためには、母や私の二人の姉妹の幸せなどかえりみなかった。それなのに、肝心の私のテニスはいっこうに上達しなかった。そのため父と大げんかもしていた。父はわが家のなけなしの財産を私のテニス教習に投じていたため、わが家は経済的に困窮。それは私も痛いほど感じていて、一家を覆う暗いムードの原因はひとえに自分にあると思っていた。
両親の仲は険悪化する一方で、このままでは離婚も必至というところまでいっていた。それをなんとか食い止めるには、自分が自殺して、この世からいなくなるほかない、と13歳の少年は思いこんだのだ。その日の日記の末尾に、私は自分の名前も署名していた——本当に自殺したとき、その日の記述がそのまま遺書になるように。
人がそこまで追いつめられると、歳が13であろうと50であろうと、有名であろうとなかろうと、関係ない。自殺、という一語が否応なくのしかかってくる。
つい最近、この日記のことを初めて母に打ち明けたのだが、母は読みたがらなかった。自分にはきっと耐えられないだろうから、という理由で。