ある人にとっては、兄弟が生まれて「もう甘えてはいけない」という禁止であるし、ある人にとっては、食事や排便のしつけが関係する場合もあります。また、夫婦(両親)の間の葛藤に巻き込まれていく中での条件付けのようになっている場合もあります。
この条件は、ひどいときには、成長してからの不安発作の原因にもなります。「なぜ、この状況になると私は不安発作が起きるのか」ということを探っていくと、この痛みにたどり着くということになるのです。
「嫌われているかも」と不安になるのも“癖”
私の場合で言えば、家の中に母親とお手伝いのおばさんという2人の女性がいたために、「このおばちゃんの言うことを聞かなければいけないのよ」とか「周りの人に愛されてないとあなたはダメなのよ」というような条件です。
それで、私の場合は、嫌われているのではないかということに対して非常に鋭敏になってしまいました。そう親しくもない人ならいいのですが、近い存在である嫁さんとかの機嫌がちょっと違うだけで、「自分を嫌いになったのでは」と、とても嫌な気持ちでドキドキしてしまうことが多かったのです。
しかしこれは禁止事項であり、痛みでありながら、「こうすればあなたは生き延びられる」という戦略としても与えられているものです。そこで、大人になってもその「人生の癖」をずっとやり続けるという人が多くなります。
誰かと交際する前に、自分の隠された条件を知る
虐待とかアダルトチルドレンのことだけを言っているのではありません。誰もが、生まれたときの「私が世界のすべて」という、心地よく混沌とした状態を続けていきたかったのに、そこに分断線が入れられて、痛みとともに切り離されてしまったのです。
誰でもが、「私」という意識を持つと同時に、すでに「こうしないと生きていけない」という条件付きにコントロールされた存在なのだということです。
あなたが虐待を受けていようがいまいが、親の愛がどのようであろうが、何らかの形で私たちは「人生の癖」を身につけてしまっています。成熟した人間になるというのは、私というものが分断されたときにどういう条件が付いたのかということに関して気がつくことが必要です。
特に、この条件は親子のような親しい人間関係について与えられているために、恋愛や結婚で問題になってきます。大人として、誰かとつきあいたいとか一緒に住みたいと思ったとき、そのプロジェクトを前にすすめていくためには、自分自身にはどういう隠された条件が付いているのかに気づいていく必要が出てくるのです。
文化人類学者、医学博士、東京工業大学教授
1958年生まれ。東京大学大学院博士課程単位取得退学。岡山大学で博士(医学)取得。86年よりスリランカで「悪魔祓い」のフィールドワークを行い、その後「癒やし」の観点を最も早くから提示し、生きる意味を見失った現代社会への提言を続けている。日本仏教再生に向けての運動にも取り組む。代表作『生きる意味』(岩波新書)は、06年全国大学入試において40大学以上で取り上げられ、出題率第1位の著作となった。近著に『愛する意味』(光文社新書)がある。