神前挙式は神社が売り出したブライダル事業

これは以前、私の研究室の学生が修士論文で調べているのですが、日本の伝統的な挙式スタイルと思われている神前結婚式が始まったのは、明治33年です。

大正天皇の結婚にあたり、日本は海外に向けて文化国家を演出するために、結婚式という公式行事を見せなければいけなくなりました。このとき皇居で行った神前挙式に、ビジネスチャンスを見出したのが神社です。皇居での式を見習って日比谷大神宮(現東京大神宮)で模擬結婚式が行われ、これを神宮奉賛会という神社の全国組織が事業として売り出したところ、一気に庶民に広まったのです。

このときのキャッチコピーが、「室町以来継続していた伝統の伊勢・小笠原流の礼法を古史として、神道式の飾りに三三九度の杯を折衷し、親族の固めの杯を取り入れるなど、古来より行われてきた結婚儀礼を簡略化し再編成した形式」となっています。

「三三九度」が初めて登場したのも、実はこのときです。それまでの結婚式というのは、自宅に親類を招いてお披露目の会食をするような、緩いものだったのです。

結婚や結婚式という常識がどれだけ時代の流行に左右されているかということです。であれば、これから先、フランスのように結婚制度を緩めて、結婚式や入籍をしなくても、一緒に暮らしたり子どもを育てたりするための税制上の優遇を得られるようなしくみを作るというのもいいのかもしれません。

見合い結婚がほとんどなくなった背景

恋愛結婚が増えるのと反対にほとんどなくなってしまったのが見合い結婚ですが、その大きな理由は、戦後私たちの暮らしの中から、地縁・血縁といったかつての共同体が失われていったからなのでしょう。

地域だけでなく、家族制度そのものが、当時の多くの若者にとっては厄介で、将来を封じ込めようとするしがらみ以外の何ものでもありませんでした。

「長男だから家の跡を継がなくてはいけない」「女だから学問などしないで早く嫁にいけ」など、生まれた順番や性別で人生を決められてしまうことに対し、1947~49年生まれの団塊の世代以降の私たちは、大きな反発を覚える世代になっていたのです。

こうして、地域共同体を逃れて都市生活を始めた若者は、自由を得た反面で、地縁・血縁の持っていた温かさのようなメリットも受けられなくなったと言えます。

孤独なタイプの人間は、本当に孤独になってしまいました。恋愛こそが結婚に至る正攻法という考え方では、どれだけまじめに生きて社会的な役割をきちんと果たしている人でも、コミュニケーション力の弱さが大きなネックになり、なかなかゴールにたどり着くのは難しいのです。

少し前ならどんな町内会にでも、「あなたもそろそろでしょ」「この人なんだけどどう?」と、お相手の写真を持ってきて、勝手に話を進めようとするおせっかいな仲人おばさんがいたものです。