なぜリーダーに自己犠牲を求めるか

会社や部門のリーダーに対して、稲盛さんはある意味の「自己犠牲」を求めます。巨大な規制や独占企業に対して戦いを挑むような場面では、通常の熱意ではダメで、人間性と情熱の次元をはるかに高めなくてはならない。だからあえて「狂であれ」という言葉を使っていました。ときに厳しく接することで従業員の内面を変え、自分と同じ次元にまで上がってきてもらいたいという考え方です。思想を注入し続けることで、人は変わります。自発的、自律的に動くようになるのです。

※写真はイメージです(写真=iStock.com/Rawpixel)

そもそも「やらされている仕事」は面白くありません。自分で仕事の意義を見つけ、自律的に仕事ができる次元に達すれば、仕事ほど楽しいことはないのです。そして自分が「引き上げられている」という感覚を持つのはもちろん楽しいのですが、部下を引き上げることができればさらに嬉しい。ただ指導するだけでは全く意味がありません。相手の心が鼓舞するくらい、真剣に、魂を込めてこちらの心を伝えていくのです。精神のレベルで次の次元に引き上げるのです。

DDIで一緒に働いていた当時は、仕事を楽しみ、さらには仕事に「酔う」ところまで追求していく。そこまで導いてもらったという思いがあります。

実際にビジネスが動き出せば、合理的な手順を踏んで進んでいきます。しかし、ある巨大な壁を突破するときには、全員が「狂」とか「酔い」の状態になっていることが重要です。そのためには全員の次元を高めていくことが必要なのです。稲盛さんには、このことを教えてもらったように思います。

なぜ平成最高の経営者といわれるか

稲盛さんは平成最高の経営者です。自分が経営する企業をどれだけ成長させたか、後に続く経営者にどれだけ影響を与えたか、純粋な社会貢献事業にどれだけ取り組んだか。名経営者と呼ばれる人は何人もいますし、ある一面では稲盛さんと同等の方もいるでしょう。しかし稲盛さんの場合は、どの角度から見ても傑出しています。

とくに企業経営を哲学の領域にまで高めたことは、特筆すべきことではないでしょうか。私自身が経験したことですが、稲盛さんと一緒に働いていると、心の底から褒められたり、震えるほど叱られたりしながら、人間性そのものが向上していく感覚を覚えます。そんな経営者を、稲盛さんのほかに私は知りません。

稲盛さんはDDI創業の頃すでに間違いなく突出したリーダーでした。そして令和の時代に入った今も、稲盛さんの教えは、経営者にとってますます偉大な道標になっていると感じます。

京セラやDDIを確固たる大企業に育て上げ、JAL再建を果たされてからもなお、努力を重ねることで人間性を高め、リーダーとしてどこまでも成長しようとされている。その姿勢そのものが、稲盛さんの本質であり、私たちが学び続けなければならないことだと思うのです。

千本倖生
1942年生まれ。京都大学卒業後、電電公社へ。稲盛氏らと第二電電を創業し副社長などを歴任。イー・アクセスやイー・モバイルを創業。近著に『あなたは人生をどう歩むか』。
 
(撮影=永井 浩、若杉憲司 写真=iStock.com)
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