上司である権力を利用して、断りにくい誘いを持ちかけるのは、男性であれ女性であれ絶対的にダメです。ハラスメントしている人を擁護するつもりは毛頭ありません。その前提で、話を聞いていて思うのは、必ずしもどちらか一方だけが悪いとは言い切れないケースもあるということです。
送った側には送った側の込めた思い、受け取った側には受け取った側の解釈があるのが当然で、肝心なのは、こうした短いテキストでのやりとりにおいて、相手が察してくれると過信しないということではないでしょうか。
「2、3割伝わればいい」と考えること
LINEなど1対1のコミュニケーションだと、どんどん思考の袋小路に入って「どうして伝わらないんだろう」と悩んでしまう人が多い。そんな時、「それって実は相手を信用しすぎてるんじゃないの?」と声をかけてみることがあります。
自分のつづった言葉が、その通りに解釈されると過信すると、うまく伝わらないたびに、ダメージを食らってしんどくなってしまいます。こういうものは、2、3割伝われば御の字。次の日に、電話や対面で、何とか真意を伝える工夫をしてみるのがいいと思います。
要するに、短い文章で伝わる思いなんて、たかがしれている。そういう前提に立って、気負わず軽やかに言葉と接するべきなんですよね。
これは、SNS疲れしてしまっていた自分自身へのメッセージでもあるのですが、ある言葉の奥には、本当に想像もつかない世界が広がっているのが当たり前。それを楽しく乗りこなすか、ダメージを受けて辛くなるかは自分次第です。僕が俵万智さんの短歌を読んで、ぼやきホストを思い浮かべたように、面白がって自分とリンクさせるのが、言葉との上手な付き合い方でしょう。
一方で、不必要に短い言葉に自分を投影させすぎて傷ついたり憤ったりすると「炎上」などの火種になるのだと思います。
短い情報との付き合い方を考えさせてくれる
もちろん時にはニュースや災害情報を伝え、速さと確からしさが人々の役に立つTwitterや、コミュニケーションを劇的に便利にしてくれたLINEなどと、芸術表現の短歌を単純に比べることはできません。事実を正しく伝えるために、論理的に言葉をつないでいくこと。説明して、相手に理解させ、誤解を生まないように文章を構築していくこと。報道や論文に使用されるような、人と人が意思を疎通するツールとしての言葉は、もちろん重要です。
問題は、感情を伝える言葉や感情をうみだす言葉も単純化してきていること。短歌に触れることは、断片的な短い情報とどう付き合っていくべきか、という点において考えさせられるヒントになるのではないでしょうか。