「浅草」ブランドに求められるものとは

このマインドにこの上なくフィットしているのが、ほかでもないペリカンの本拠地・浅草だ。

江戸の大衆文化の中心地であり、明治・大正から戦後にかけて栄えた浅草だが、70年代からバブル期は一時衰退。しかし、平成以降に活気を取り戻し、近年は“イースト東京”とも呼ばれ、国内外からの観光客で賑わう。その歴史と、ペリカンのたどってきた足跡とは、当然ながら重なり合っている。

「この界隈もずいぶん変わりました。浅草にこんな時代がやってくるなんて思いもしなかった。浅草に来てくださる方々は江戸の名残やシンプルさを求めています。そんな場で、シンプルな店構えでシンプルなパンだけを販売しているのも当店の強み。味を変えてまで無理に商売を広げないほうがいい」

すでにパンのブランドとして全国的にも名高いペリカンは、そのつもりならビジネスの拡大も可能かもしれない。

「そうかもしれません。映画(17年公開『74歳のペリカンはパンを売る。』)がきっかけとなって当社の歴史を振り返る本も出版され、僕自身も知らなかった過去を知り、とても勉強になりました。でも、渡辺家は商人の家系です。自分たちの目の届く範囲でやりたい」

実は、生産量を増やそうと別の場所に工場をつくろうとしたことがあるが、失敗に終わったのだという。

「曽祖父・武雄のレシピ通りに、この浅草の工場にカスタマイズした窯で焼かないとペリカンの味にならなかったんです。ペリカンのパンの味でなければ商売を大きくする意味がありません。だから、パンを焼く量が決まってしまいますし、販売量も制約せざるをえないという状況です。買いたいときに買えないお客様には、本当に心苦しいのですが……」

「浅草のペリカン」というブランドの重要性を踏まえた決断だが、実際のマネジメントでは、「変わらぬために変わる」という逆説を地でいっている。

朝8時の開店と同時に、行列客への販売を開始する。

「3代目の叔父、猛に“パンの味は変えるな”と厳しく言われました。とはいえ、ビジネスの仕方は時代に合わせて少し変えないと“変わらない味”を伝え続けていけません。17年、母が中心となって近所にペリカンのパンを食べられるカフェをオープンしましたが、それも将来を見据えてのこと。カフェはいわゆる“インスタ映え”のような見栄え、ビジュアルを大事にしています」

もしブームが終わっても“変わらない味”で生き残るため、目の届く範囲での小さな変化は積極的に仕掛けていく。そのさじ加減をコントロールすることが、あくまでも個店として生き残ろうとするペリカンの戦い方なのだ。

「普通のパン店でありながらブランド商売でもあるペリカンという店をこの先、80年、100年と続けていくためにも、慎重にやっていきたい」

▼地域とブランドのポイント:「変わらぬ」と「変える」のさじ加減をコントロール

会社概要【ペリカン】
●本社所在地:東京都台東区
●従業員数:18人
●社長:渡辺馨
●専務兼店長:渡辺陸(成蹊大学経済経営学部卒業。2010年入社、14年より現職)
●沿革:1942年渡辺パン創業。57年ペリカンに改名。売上高17年度1.6億円、16年度1.7億円。
中沢孝夫
兵庫県立大学大学院客員教授
1944年、群馬県生まれ。全逓中央本部勤務の後、立教大学法学部卒業。約1200社のメーカー経営者や技術者への聞き取り調査を実施。具体的でミクロな経済分野を得意とする。著書に『転職のまえに』『世界を動かす地域産業の底力』ほか多数。
(文=中沢明子 撮影=石橋素幸)
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