メロンパンはどのようにして誕生したのか。生活史研究家の阿古真理さんは「誰がどのようにして開発したのか、いまだわかっていない。私はアメリカ大陸に渡った移民が持ち帰ったという説が有力だと思っている」という――。(第1回)
※本稿は、阿古真理『おいしい食の流行史』(青幻舎)の一部を再編集したものです。
あんパンを世に広めた意外な人物
あんパンが売れ始めたきっかけは、ある仕掛けをしたことでした。仕掛け人は、店に出入りしていた道場主で、幕臣だった山岡鉄舟です。
江戸城無血開城は勝海舟と西郷隆盛の会見で決まったとされていますが、『銀座木村屋あんパン物語』(大山真人、平凡社新書、2001年)によると、その陰には徳川慶喜の命を受けた鉄舟が、西郷に江戸を攻撃しないよう直談判をしたことがあったそうです。
そんな明治維新の陰の立役者の一人、鉄舟は明治に入って駿河、遠江、三河を行き来し、駿河から静岡になった藩の財政の立て直しに奔走します。その後立場がいろいろ変わり、1872(明治5)年に宮内省侍従番長になります。
鉄舟のもとにはいろいろな人が出入りしますが、その中に銀座木村屋の創業者である木村安兵衛とその息子、英三郎もいたようです。人のために尽くす鉄舟は、明治天皇にもかわいがられていました。鉄舟が仕掛けて、天皇が1875年4月4日、向島の水戸藩下屋敷を訪ねた折、桜の花の塩漬けを埋め込んだあんパンを献上し、天皇も皇后もその味を気に入ったそうです。
宮中へは、京都からお供してきた菓子屋が仕えていて、新しいお菓子を差し上げることは困難でしたが、鉄舟が天皇の外出先で出す方法を考え、この日の献上が実現したのです。その事実が広まり、東京で木村屋のあんパンが大流行するのです。
ちなみに鉄舟は倒幕後、駿河に引っ込んでいた徳川慶喜にもあんパンを届け、気に入られたとのこと。
あんパンはその後、多くの人々に愛されました。結核の闘病中の正岡子規も、あんパンを好んで食べています。森鴎外も、木村屋のあんパンのファンだったそうです。