クリームパンのヒントになった洋菓子

しかし、近所に当時流行していた、喫茶店の原型になるミルクホールができて、カフェは断念したのです。結局はパン屋がサロンになったので、目的は達せられたと言えるでしょう。

パン屋を選んだのは、パン食を試したら案外飽きずに続けられるし、煮炊きもいらず、突然の来客にもすぐ出せる便利な食事になる、これからはもっと売れるだろうと見込んだからです。

税務署から目をつけられ、もっと売り上げを伸ばさなければ、と発展し始めていた新宿に移転。「新宿中村屋」を名乗るようになります。やがて、インド独立運動家のラス・ビハリ・ボースをかくまう、ロシアの詩人、ワシリー・エロシェンコが身を寄せるなど、店は歴史の舞台になっていきます。

愛蔵がクリームパンを思いついたのは、シュークリームを食べたところ、とてもおいしかったからです。しかし当時のシュークリームは高級品で、庶民が気軽に食べられるものではありませんでした。

牛乳と卵を使った栄養価の高いカスタードクリームを、パンに包んでみたら、あんパンより一ランク上の人気商品になるのではないかと考えたのです。

このように、明治の終わり頃になると、菓子パン文化はすっかり定着し、洋菓子にヒントを得た新しいパンが誕生していくのです。

謎だらけのメロンパン

実は明治初期、洋菓子は日本人から嫌われていました。というのは、洋菓子は基本的にバターを使います。このバターの香りが、乳製品に慣れていなかった日本人には「くさい」と感じられたからです。昭和の頃、彫りの深い日本人離れした顔が「バタくさい」と言われましたが、それは実際にバターがくさいと思われてきた史実から来ているのです。

しかし世代が交代し、日本人は西洋の食文化にも慣れて変わっていきます。1872(明治5)年に凮月堂の本店からのれん分けされた、現在の「東京凮月堂」も創業者はバターが苦手でしたが、子どもたちがバタくさいビスケットを喜んで食べるさまをみて、これからは洋菓子の時代だ、と洋菓子に力を入れていくようになりました。

世の中がどんどん変化する時代、世代が変わると味覚も変わっていくのです。

ひとつ、定番の菓子パンながら、発祥が定かでないものがあります。メロンパンです。メロンパンの謎を追った『メロンパンの真実』(東嶋和子、講談社文庫、2007年)が、誕生した時期はどうやら大正時代だったことまで突き止めていますが、どこの誰がどのようにして開発したのかはわからなかったそうです。

メロンパンは日本発の甘いパンの一種です。
写真=iStock.com/Yusuke Ide
※写真はイメージです