ドイツ菓子説、移民説、日本人説
食べものの発祥やルーツについては、実はわからないことがたくさんあります。それは、食べものは歴史の中であまり重要な存在とされていなかったからです。特に庶民の食べものは、公的な記録が残されていないことが多いのです。
飲食店や食品メーカーも、生まれては消えていきますし、書類もメニューも残っていないモノが少なくありません。町のパン屋が開発したとして、その店が激動の時代の中で消えていった場合、何も残っていないのはしかたありません。第2次世界大戦中は、主要穀物を扱う店は統制下におかれたためなくなってしまった店も多いのです。
同書によると、メロンパンに関してはドイツ菓子説、アメリカ大陸に渡った移民が持ち帰ったという説、日本人が生み出したという説の3つがあるそうです。
ドイツ菓子は、いかにもありそうです。大正時代には第1次世界大戦があり、敵国だったドイツ人の俘虜収容所が各地にありました。俘虜のひとり、ハインリッヒ・フロインドリーブは敷島製パンの創業を手伝い、その後神戸に移って店を開きました。
その店、フロインドリーブは、1977(昭和52)年度放送の朝の連続テレビ小説『風見鶏』(NHK)のモデルにもなりました。カール・ユーハイムは日本にバウムクーヘンをもたらした、ユーハイムの創業者です。ドイツ人がこの頃、日本のパン・菓子に大きな影響を与えたことは確かです。
私が移民説を取る理由
日本人が創意工夫を発揮し、発案したというのもありそうです。パンの上にクッキーをかぶせ、メロンの形にするなんて、あんパンやクリームパンを考案した日本人なら考えつくかもしれません。
でも、私は移民説を取ります。というのは、同書も紹介していますが、メロンパンとそっくりな菓子パンがメキシコにあるからです。メキシコのそのパンは「コンチャ」という名前で、『「食」の図書館 パンの歴史』(ウィリアム・ルーベル著、堤理華訳、原書房、2013年)によると、ミルクロールパンに、着色した粗めの砂糖衣をかけてあるそうです。
いずれにせよ、メロンパンも定着して現在に至るまで愛されています。2000年代初頭には、専門店も登場してブームになりました。