個別化した学びは「ゆるやかな協同性」に支えられる
誤解がないよう言っておくと、これは「自分のやりたいことだけを学んでいい」ということではありません。日本の場合、学習指導要領の内容は、学校が責任をもってすべての子どもたちにその修得を保障すべきものです。でも、それをみんながみんな同じペースでやる必要はないはずです。むしろ、いつ、何を、どのように学ぶかを個別化したほうが、その到達はより十分に保障されるはずなのです。
もっとも、この「個別化」には必ず「協同化」をセットにする必要があります。「ゆるやかな協同性に支えられた個の学び」の環境を整えるのです。そうでなければ、子どもたちの学びは「孤立化」してしまいます。孤立化した学びは、それで構わないという子にとっては尊重される必要がありますが、多くの場合、学びを進める上で問題のほうが多いものです。誰もが一人だけで勉強を進められるわけではないからです。一人だと行きづまってしまうこともあるでしょうし、意欲が続かないということもあるでしょう。「個別化」された学びには、先生や友だちの支えがやはり必要なのです。
国語の教材が合わないなら、また別の本を読めばいい
ICT(情報コミュニケーション技術)の進んだ欧米では、子どもたちの教材がオンライン上に多様に用意されている場合もあります(たとえばマイケル・B・ホーン、ヘザー・ステイカー著『ブレンディッド・ラーニングの衝撃』などをぜひご参照ください)。みんながみんな、同じ教材で勉強する必要はないのです。
教材の個別化にとって、ICTは強い味方です。でも、必ずしもICTだけに頼る必要はありません。
たとえば国語について言えば、与えられた文章教材が自分に合わないということもあるでしょう。「スイミー」や「スーホの白い馬」や「やまなし」など、多くの子どもを惹きつける力をもった教材はあったとしても、教科書の物語の全部が全部そうであるわけではないはずです。それを引きつけさせるのが教師の力量だ、というのも一つの大事な考えですが、でも、興味を持てない教材のせいで、国語嫌いになってしまった子どもたちはたくさんいるはずです。
だったら、良質な本をたくさん揃えて、子どもたち自身が選んで読み浸るようなことをしてもいいかもしれません。これもまた、教材や学びの個別化です。さらに、それぞれが読んだ本を互いにプレゼンしたり意見交換したりといったことをしてもいいでしょう。これは「個別化」と「協同化」の融合です。こうした発想に基づいた、「リーディング・ワークショップ」という実践もありますので、ご興味のある方にはぜひ調べていただければ嬉しく思います(ルーシー・カルキンズ『リーディング・ワークショップ』、ナンシー・アトウェル『イン・ザ・ミドル』、プロジェクト・ワークショップ編『読書家の時間』など参照)。