「奉公衆」解体こそ戦国時代到来の象徴
そういえば、応仁の乱では10万を超えるともいわれる東西両軍が殺し合いをしているのに、肝心の将軍義政は花の御所で宴三昧である。なぜ、そんなことができるのか? 奉公衆が将軍を守っているからである。花の御所を本営とした細川勝元も、奉公衆には手を焼いた。
義政の父の義教は「万人恐怖」と恐れられた強い将軍だったが、その権力基盤は奉公衆だった。義教はすべての戦争に勝利しているが、その中核は奉公衆である。応仁の乱ですら将軍を守った奉公衆の解体こそ、戦国時代の到来を象徴すると評価が修正されているのだ。
歴史とは、学べば学ぶほど同じ事実でも違った見方ができる。従来の通説、評価が修正されることにこそ、学ぶ醍醐味がある。いまの歴史教育では、学ぶ面白さが伝えられていないからこそ、良書で学んでほしいと願う。
憲政史家
1973年、香川県生まれ。中央大学大学院文学研究科日本史学専攻博士課程単位取得満期退学。在学中より国士舘大学に勤務、日本国憲法などを講じる。シンクタンク所長などをへて、現在に至る。『明治天皇の世界史 六人の皇帝たちの十九世紀』(PHP新書)、『日本史上最高の英雄 大久保利通』(徳間書店)、『国民が知らない 上皇の日本史』(祥伝社新書)、『嘘だらけの日独近現代史』(扶桑社新書)など、著書多数。