「母親は子どもに自己犠牲的に振る舞うべき」という“期待”
そして私たちは、これがわかってもなお、まだ母親を責めたい気分を抱えてはいないだろうか。母親であれば命をとして子どもを守るものだろう、それを自分が助かるために見殺しにするなんて……と思うからだ。
私たちは、どこかで“母親”という存在は特別で子どもに自己犠牲的に振る舞うものだ、と勝手に期待してしまっている。ゆえに彼女の一連の行為は、私たちが共有する大切な“母親”イメージを崩すもののように映ってしまう。これは明らかに根深いジェンダーの問題だ。
親という立場は、性差で変わるものではないはずだ。なのに同じことをしても父親より母親の方がより強く批判される構造が、私たち社会の中にすでに存在している。
私は裁判所が、この母親の行動をどんな風に判断するのか、今後も注視していきたい。母親が子どもの虐待死にどの様に関わったのか、もしそれが、確かに今私が述べたような背景をもっていたのだとしたら、彼女は虐待加害者の前にDV被害者だったはずである。被害者のやむにやまれぬ行動が、過剰に重く判断されないことを願いたい。
常磐大学人間科学部心理学科 准教授
1973年奈良県生まれ。専門はジェンダー心理学。臨床心理士。関西の公的DV被害者支援シェルターで心理担当職員として長く勤め、2015年、奈良女子大学で博士号を取得。テーマは「DV問題と向き合う被害女性の心理――彼女たちはなぜ暴力的環境に留まってしまうのか」。現在は、ジェンダーを軸に幅広く女性の問題に関するテーマを扱う。2018年4月より現職。