五輪の最も強力な「政治性」
さて、学生たちのこうした意見の分断からオリンピック・ボランティアについて評価してみたい。そもそも今回の東京大会は二つの理由から批判されるべきだと私は考えている。一つは政治的な側面だ。スポーツ社会学者の佐伯年詩雄氏は、五輪の最も強力な政治性は祝祭の力によって現状の政治体制が肯定されることだという(※2)。
(※2)佐伯年詩雄「現代オリンピック考――モンスタービジネスに群がるビジネスと政治」、『現代スポーツ評論30』2014年。
開催決定後、シンクタンク森記念財団の理事を務める市川宏雄氏は大会招致の成功が「安倍首相を中心とするアベノミクス推進派」の勝利であったといい(※3)、同理事である竹中平蔵氏は同大会を「アベノリンピック」と呼んだ(※4)。彼らはオリンピックの成功によって安倍政権が戦後最長の政権になるというが、これは現状肯定の政治学と呼べるだろう。
(※3)市川宏雄『東京五輪で日本はどこまで復活するのか』、メディアファクトリー新書、2013年。
(※4)竹中平蔵(編)『日本経済2020年という大チャンス!』アスコム、2014年。
社会に「例外状態」が生まれる
もう一つは経済的側面である。アメリカの社会学者ジュールズ・ボイコフはオリンピックと資本主義の特殊な結びつきを「祝賀資本主義」という概念で分析している(※5)。オリンピックのようなメガ・イベントの開催が決まると社会にある種の「例外状態」の雰囲気が生み出され、その祝賀のためであれば普段では認められないような政策が実施され、公金によって特定の民間企業がリスクを負わずに莫大な利潤を得るような状況が生み出されるという。
(※5)ジュールズ・ボイコフ『オリンピック秘史』早川書房、p.198。
2020年大会では組織委員会が資金不足に陥った場合に東京都、そして最終的には国が補填するということになっているし、当初は1,500億円と見積もられていた国家の大会関連支出が、2018年10月段階ですでに8,000億円以上支出されている(※6)ことを考えても、このボイコフの議論は的を得ている。
(※6)会計検査院「東京オリンピック・パラリンピック競技大会に向けた取組状況等に関する会計検査の結果について」2018年10月4日。