「ニッポン」に代わるレトリックの登場

この現状肯定の政治学と祝賀資本主義とをつなぎ合わせるレトリックが「ニッポン」だった。2020年大会に向けては招致段階からスローガンやプロモーション映像、CMなどで「日本」ではなく「ニッポン」という言葉が多用されてきた。「ニッポン」という言葉は、東京という具体的な地理を包み隠し、情緒的なコミュニティー感覚を呼び起こしながら国民を巻き込み、現実の政治問題や個別具体的なオリンピック関連の受益者を私たちの目から遠ざけてきた。

オリンピックは何となくニッポンの「私たちの」イベントとして知覚されてきたのである。しかしボランティア募集をめぐって新たなレトリックが登場した。上述のように、「一生に一度」、「新しい自分」である。これはオリンピックに主体的に関わることを導いているようでいて、その実、オリンピックの構造的な諸問題から目を背けさせると同時にその労働力を提供させる、魔法の言葉ともいえる。

なぜ2020年に3兆円を超えるともいわれるコストをかけてまで東京にオリンピックを招致する必要があったのか、その受益者は誰なのか、そこで見落とされる問題はないのか……。いやもうそんなことは考えずにその時を一人一人の良い経験にしましょう、ということだ。

オリンピックの歴史に多種多様な人々の交流があったこと、そして多くの平和的共存の瞬間があったことは事実である(※7)。そこに一人の「私」として関わっていきたいという思いは理解できるし、その経験が後の社会貢献意識に結びつくこともあるだろう(※8)。

(※7)清水諭編『オリンピック・スタディーズ』せりか書房、2004年。
(※8)石坂友司「オリンピック・パラリンピックのボランティアは何をもたらすのか」、Yahooニュース2018年5月24日。

だが今回のボランティアが、現状肯定の政治学そして祝賀資本主義に結びついたオリンピックというイベントの「あり方」を支えることは否定できない。つまり、多くの人々の善意や自己実現の物語によって、オリンピックをこういうものとして続けていくことが肯定されてしまうのだ。今回のボランティアをめぐる一番重要な問題はそこであり、多数派の学生たちの批判的な態度はそうした状況に対する抵抗なのである。

有元健(ありもと・たけし)
国際基督教大学教養学部 アーツ&サイエンス学科 准教授
1969年生まれ。ロンドン大学ゴールドスミス校社会学部博士課程修了。社会学Ph.D。現代社会の身体文化、特にスポーツをテーマにして、人々のアイデンティティーの構築を研究している。専門はスポーツ社会学。著書に『オリンピック・スタディーズ:複数の経験・複数の政治』(共著)、『大衆文化とメディア』(共著)、『耳を傾ける技術』(翻訳)、『メディア・レトリック論-文化・政治・コミュニケーション』(共著)など。
(写真=時事通信フォト)
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