「そんなに愛国心はない」

しかしこうした回答の背景に必ずしも日本を誇りに思う意識、いわんやナショナリズム感情があるわけではない。ボランティアの意志と国民意識は結びついているかという質問にICUの学生たちは次のように答えた。

そんなに愛国心はないです。自分の生まれた国で、今住んでいるけど、日本バンザイみたいなのはないですね。せっかくオリンピックやるなら経験としてできるのは今回だけだし。もてなしたいというよりは、ただ自分で経験したい。

(ボランティアの経験に)「日本人として」っていうのは私の中ではあまりないです。

「私の物語」としてのオリンピック

学生たちのこうした意識をうまく説明しているのが、東京大学でボランティア研究を行っている仁平典弘氏である。彼は1964年の東京大会と今回の東京2020大会における国民の動員を比較して、64年には戦後復興を遂げた姿を世界に示すという国家的な大きな物語があったが、今回についてはそうした動員の大きな物語は見失われ、自分の語学力を試すとか、ただ大きなイベントに参加したいといった“個人の小さな物語”が集積されていくのではないかと分析している(※1)。

(※1)仁平典宏・清水諭・友添秀則「座談会:ボランティアの歴史と現在-東京2020オリンピック・パラリンピックに向けて-」『現代スポーツ評論』37号、2017年。

まさしく仁平氏のいうように、参加を表明している学生たちにとって、今回の東京大会は「ニッポン」というナショナルな物語ではなくて、自分の人生の特別な時間、つまり「私」の物語の1ページとして位置づけられているようだ。そして組織委員会によるボランティア募集の呼びかけも、そうした小さな物語に訴えている。そこには「二度とないチャンス」「一生に一度」「新しい自分」「感動」といった言葉がちりばめられている(組織委員会HP)。

外国からの選手や観光客だけでなく新たな自分にも出会えるチャンス。ある学生は、このようなイベントにタダで参加できる喜びを表明さえしていたのだ。それは「労働」とは対極的な認識である。