「与えられた仕事をこなす」に終始
第2に、自治体職員の多くが「与えられた仕事」を外形的にこなすことに終始し、「なぜ?」という問いを起点とした「分析に基づく仕事の仕方」をしていないためである。理解しやすいよう、これについても、一例を挙げておこう。
1970年代の銭湯業者は、レジオネラ菌の発生を恐れ、基準をオーバーした強めの塩素消毒を行う傾向にあった。皮膚が柔らかい子どもの肌はヒリヒリと痛み、赤ちゃんはその痛みで泣きだすありさまだった。これに対し、ある職員は、「なぜ基準を守ってもらえないのか?」を考えることで、「銭湯業者は守り方が分かっていないから守れないのだ」ということに気づいた。彼はスライドを作り、「どうすれば安心して基準を守れるか」を分かりやすく伝え、最終的に違反をゼロにした。
しかし、彼が着任する以前、他の職員はそうした行動をとってこなかった。すなわち、定期的に巡回して「ルールを守るように」と行政指導を繰り返す一方、一向に守ってもらえないことに腹を立て、陰で「銭湯業者の遵法意識の低さ」を嘆くだけだった。そのように「問題解決につながらないまま、行政指導を繰り返す」というのでも、“外形的には、仕事をこなしている”と言える。しかし、地域を良くすることには全くつながっていない。
目的達成にとって効果的な、意味ある仕事をしていくためには、「なぜ?」という問いを起点とした「分析に基づく仕事の仕方」に変えていかなければならない。
第3に、自治体職員の多くが「機会費用」を意識していないためである。たとえば、遊ぶのは楽しいが、その時間を勉強に充てれば、その分、成績が上がるかもしれない。このように何かあることをする結果として失うかもしれない利益・便益を「機会費用」という。
自治体現場では、この機会費用がほとんど意識化されていない。そのため、「そこに費やされている予算や人員を他の仕事に振り向ければ、もっと住民や地域のためになるのではないか」といった発想が出てきにくい。その結果、「やらないよりやった方が良い」という程度の仕事が見直されることなく継続してしまい、「真になすべきこと」に向かっていくことにはなかなかならないのである。
内発的な働き方改革が求められる
勘違いしないでほしい。筆者は自治体職員を批判したいわけではない。実は、上記のような働き方に強く心を痛めているのもまた、彼(女)らだからだ。2010年に筆者らが行った調査(※)によれば、自治体職員の過半数の職員が、「辞めたい」もしくは「かつては辞めたいと思っていた」と答えており、その理由の第1位は、「仕事がつまらない(やりがいがない)」というものであった。自治体職員の多くは、「住民のため、地域のために何かできれば」という“思い”を根底に持っているにもかかわらず、“思い”に即した働き方ができていない。そうした実態がこの回答に表れているように思われる。彼(女)ら自身も悩んでいるのだ。
今求められているのは、自治体職員自身がいつの間にか希薄化させてしまっている“思い”を取り戻し、「住民を幸せにする、地域を良くする」働き方に変えていくことである。それができれば、職員自身も幸せになれる。ただし、そのためには、「これまでの働き方」を反省し、欠けていた姿勢や発想を獲得する必要があるだろう。
※自治研作業委員会「分権時代における自治体職員の働き方委員会」のアンケート調査。東京、神奈川、福井、三重、福岡の都県職員および市町村職員4000人を対象に実施した。
今回のゆるキャラをめぐる問題は、「『組織票』は是か非か」という次元での議論に終始すべき問題ではない。「自治体のあり方・自治体職員の働き方」を問い直す契機としてとらえ直すべきなのである。
九州大学大学院 法学研究院 教授
1973年、島根県安来市生まれ。専門は、行政学、地方自治論。中央大学法学部卒業後、2002年3月に中央大学大学院法学研究科博士後期課程単位取得退学。地方自治総合研究所非常任研究員、日本学術振興会特別研究員(PD)を経て、2004年4月に九州大学に助教授として赴任し、現在に至る。著書に『みんなが幸せになるための公務員の働き方』(学芸出版社)。