「準備」をすれば、いっきに簡単に読めるようになる!

しかし、もしこの文章に「最近の若者はなぜ、コミュニケーションが不得手なのか」というタイトルがつけられていたらどうでしょうか? またはこの文章が書いてある本の帯に、「徹底解説! なぜ最近の若者はコミュニケーションが下手なのか?」と書かれていたらどうでしょうか?

西岡壱誠『「読む力」と「地頭力」がいっきに身につく 東大読書』(東洋経済新報社)

「あ! これを書いている人は、最近の若者がコミュニケーションが不得意になった理由の1つが、LINEだと考えているんだな!」とすぐにわかりますよね? どんなに難しい言葉が使われていようが、「良いことなのでしょうか? 悪いことなのでしょうか?」と書いてあろうが、「LINEは悪いものだと考えているに違いない」と一瞬で理解できるはずです。

ただ、「タイトルを読んでいるかどうか」。

ただ、「本のカバーや帯の言葉をきちんと読んでいたかどうか」。

そんな些細なことで、この文章が「読みやすいかどうか」が分かれてしまうのです。

東大生は「読解力」があるわけではない

「東大生はみんな、地頭が良くて読解力があるから、文章がきちんと読めるのだろう」
「文章がきちんと読めるかどうかって、才能だよね」

そんな言葉をよく耳にしますが、実はこれはまったくの間違いです。

たとえば東大生はたしかに、他の学生よりも国語の入試問題で高得点を取ることができます。しかしこれは、単に才能があるから読めるとか、地頭が良いから読めるということではないんです。

東大生は、「読解力」ではなく「ヒントを探す力」がある

東大生の多くは、国語の長文読解問題が出題されたら、長文には目もくれず、まず真っ先に「問題文」を見ます。なぜなら、問題文の中にはその長文の内容を問う問題がずらっと並んでいるので、ここからその長文の内容をおおよそ把握することができるからです。

また、東大生はみな、文章を読む前に文章のリード文や文章のタイトルなどもチェックします。