大学の立て看板撤去はサークル活動を衰退させる根拠
また、このような法的な問題以上に、議論が盛り上がることになったのが、立て看板とともに学生文化が消滅するという文化的観点だ。
京都大学の吉田寮に住んでいたという43歳のOBは「50年来の伝統なので、あれこそが景観じゃないか。自然消滅するならわかるが、人から言われてなくすものじゃない」と語気を強める。
このOBは、学生の対応をみて「大学に抗議するより議員や市長に訴えたほうが効果的なのでは」と提案するが、しかしどう闘ってもこのような訴えはむなしく終わる可能性がある。かつて法政大学で、同じように規制され、結局、立て看板という学生文化が消えてしまったからだ。
2006年の立て看板規制について、当時学生だった32歳のOBはこう振り返る。
「法政大学は2006年にキャンパスの立て看板規制を強いられました。大学当局のブランディングの戦略上、古臭く貧乏臭いイメージを払拭するのが目的だったのでしょう。新左翼セクトの中核派を中心に強い反対運動が起こりましたが、規制から10年以上がたち、立て看板の文化はほとんど残っていません。縮小されたスペースでかろうじて生き残っていますが、現役学生はほとんど使っていないようです」
ただし、別の法大OBは「京大は法政ほど規制がスピーディに進むとは思いません」と推測する。
「京都大学は大学院生も多く、4年以上在籍する人も珍しくない。寮があるので大学を居場所にする人が多いからです」
しかし、京大を取り巻く状況は厳しい。規制強化の対象は立て看板だけではない。もうひとつの名物学生寮「吉田寮」にも寮生の退去命令が出されているからだ。京大の学生文化は深刻な危機にある。ある京大OBは「サークル活動で親しまれている西部講堂の利用規制も進むのではないか」と懸念する。