東京大学の地下食堂に飾られていた宇佐美圭司の大作「きずな」が、撤去・廃棄された。この“事件”はすでに忘れられつつあるが、それは恐ろしいことだ。ノンフィクションライターの石戸諭氏は「廃棄を決めた東大生協は『わからないから捨てた』と繰り返すだけで、理由を説明しない。そうした思考停止が黙認されている」とみる。「わからない」を放置することのリスクとは――。
東京大学の食堂に飾られていた宇佐美圭司さんの作品(大学関係者提供)

「業者がカッターのようなもので切り刻んだ」

「絵画とは歴史である。そして歴史とはさまざまな方法であろう」(宇佐美圭司『20世紀美術』岩波新書)。

2012年に亡くなった宇佐美の立ち位置を象徴する一文である。宇佐美は誰よりも歴史を重視する美術家だった。そんな彼の作品が、東京大学生協が運営する地下食堂から撤去されていたことが、今年4月に話題となった。東大生協によれば、2017年9月27日に「業者がカッターのようなもので切り刻んだ」(東大生協の担当者)という状態で歴史から消えた。

この問題はなにを問うているのか。問いは2つに整理される。第一になぜ東大生協は廃棄を決定してしまったのか? 第二に、東大生協の決定は特殊だったのか? である。

「宇佐美さんの作風はまさに知的と呼ぶにふさわしい」

そもそも宇佐美はなぜ自身の代表作を東大中央食堂に寄贈したのか。経緯はこうだ。

時は1976年、村上龍が『限りなく透明に近いブルー』で芥川賞を受賞し、森村誠一の『人間の証明』がベストセラーになった年だ。

「きずな」はその年に東大生協創立30周年記念事業として、当時の職員が生協の元従業員に募った募金で宇佐美に制作を依頼したものだった。宇佐美を推薦したのは、文学部の教授(当時)だった高階秀爾・東大名誉教授である。

高階氏が推薦した理由はこうだ。「芸術作品として優れている▽現代的である▽感性と知性に等しく訴えるという観点から、自作を論理的に解説する宇佐美さんの作品を推したという」(朝日新聞)。

独学で創作を開始した宇佐美は70年代に最も期待を集めた若手芸術家のひとりだったと言っていいだろう。旺盛な創作活動に加え、親交があった音楽家・武満徹の著書『音、沈黙と測りあえるほどに』の美しい装丁でも注目されていた。

募金を集め完成した大作「きずな」は形式上は30周年記念事業委員会から、東大生協へ寄贈するという形で中央食堂の壁面に展示されることになった。

「宇佐美さんの作風はまさに知的と呼ぶにふさわしいものです」。そう語るのは、東京国立近代美術館企画課長の蔵屋美香さんだ。