自分たちのものだから、自分たちで処分していい
そして、宇佐美の代表作は生協が依頼した業者が「カッターのようなもので」切り刻み、撤去と廃棄処分は完了した。作品は歴史から消えていったのだ。
どうして処分したのかという問いに対して、東大生協が繰り返し強調したのが「生協の所有物だから、自分たちで廃棄を決定してもいいと思った」「わからなかった、思い至らなかった」という2点だった。
美術品には公共的な価値、歴史的な価値がある。所有者が所有物だからということを理由に勝手に処分していいのか。そう聞いても「そのような視点は思い至らなかった」「わからなかったんです」「考えが及ばなかった」を繰り返す。
わからないけど、調べなかった。自分たちのものだから、自分たちで処分していい。
何を聞いても、この2点しか繰り返さない。廃棄が決まる議論の過程や詳細は語られない、というより語るほどの内容もなく、ただただ価値とは関係ないところで結論だけが決まっていたという印象が残った。
東大生協の決定は特殊だったのか?
第二の論点「東大生協の決定は特殊だったのか?」について、一連の騒動を振り返りながら蔵屋さんはこう語る。
「東大生協の対応は決して珍しいものではないです。建て替えや建て壊しで人知れず無くなっていった美術作品は結構な数があるはずです」
例えば、と蔵屋さんが例にあげたのは岡本太郎だ。丸の内にあった旧東京都庁には岡本太郎の陶板レリーフが飾られていた。しかし、新宿移転の際、廃棄が決まり、旧都庁とともに取り壊された。岡本太郎記念館ホームページには、「1991年5月 56年制作の陶板レリーフの保存運動がおこるが、9月に取り壊される」と書かれている。
蔵屋さんは続ける。日本の美術史には公共空間への美術作品設置ブームが何度かある。古くは1920年代〜30年代の壁画ブーム、近年では1980年代〜90年代の立体作品を中心としたパブリックアートブームがそれにあたる。
要するにお金に比較的余裕がある時期に企業や行政が有名な美術家に壁画など作品を依頼するということだ。
これから、バブル期に依頼され、設置から30年~40年を迎える作品がどんどん出てくる。設置された建物は老朽化しており、作品を保存するには労力がかかる。
「建て替えが捨てどきだと判断する企業や自治体があっても不思議ではないですよね? 今回は美術研究者が多数いる東大の食堂に飾られていて、しかも宇佐美さんの代表作だからニュースになったと思うんです。でも、ニュースにならずにひっそりと捨てられる作品は今も昔も決して少なくない」