立て看板規制は受け入れるしかないのか?
では規制が強まる中で、立て看板に関してどのように決着をつけるべきなのだろうか。前出の卯月氏は、「京都大学周辺の地域特性を踏まえた新たな規制を作るべき」と提言する。
「ガイドラインの基本的な方針には『地域ごとの地域特性を踏まえた規制にすること』と書いてあります。京都市は観光都市であるだけでなく、大学都市も標榜しています。多くの大学が存在し若者の活気があることを京都市はポジティブに捉えているわけです。であれば、地域特性として基本的な方針に倣うべき。京都大学の立て看板をネガティブに評価することは、問題をよりこじらせてしまうことになるでしょう」
本当に「地域特性」という解釈が通じるのだろうか。他の自治体をみれば、前例はあると卯月氏はいう。
「地域の活性化のため、野球場やサッカースタジアムを造ることがありますが、チームカラーの赤や黄色が、屋外広告条例に違反しているとみられるほど大きく展開されているケースがあります。ですが、それが人の賑わいを誘っていれば、自治体はそれを地域特性として、その賑わいのある景観をポジティブに評価しているのです。そうした事例があることを考えれば、京都大学の立て看板も地域特性として受け入れられる余地はあるでしょう」
具体的な方法としては、学生側が自主的なルールを作成して議論を進めていくことがふさわしい、という。
「京大の歴史や地域の特性を踏まえ、学生が自主的なルールを作成し、京都市と京都大学と一緒に議論する場を設ける。ルール作りには1年くらいの時間をかけたほうがいいでしょう。これは、過去の京都市の景観に関する取り組みをさかのぼってみても、妥当といえます。11年前、京都市が新景観政策を発表して反対運動が起きた際、『子どもたちに京都のよさや美意識を伝えるため、伝統的な寺院がある町にけばけばしい色彩や醜い看板は好ましくない』と市長自らが教育のための景観政策だと訴えた歴史があります。私はこれを高く評価しています。当時のこの教育意識があれば、『京都市の景観の問題をみんなで考えましょう』とするのが、本来京都市のあるべき姿勢です」(卯月氏)
つまり立て看板規制を単なる「ベニヤ板を巡る議論」と捉えると、大きく事態を見誤ることになる。景観条例の解釈、学生文化の衰退という2つの危機に加え、根本的な問題は「自治体との話し合いが設けられていない」という点にあるからだ。
OBたちからは影響を最小限にとどめるためにも、立て看板が景観として受け止められる可能性を模索すべきという声が挙がっている。看板が撤去されたいま、それは果たして可能なのだろうか。一度、失われた文化を取り戻すことは簡単ではない。
ライター
1990年生まれ。4年半のOL生活を経て、現在はフリーのライターとして活動。体験や企画、潜入レポートを好む。週に一度、歌舞伎町のバーに勤める。