【佐藤】外務省の執務室でした。テレビで、リアルタイムに見ていました。NHKの手嶋龍一さんによる放送です。その後、私はテロ対策で中東、ロシア、中央アジアと走り回りました。
【片山】9・11は小泉内閣が発足したばかりの時期に起きました。それ以来、世界は準非常時社会に突入しましたね。だから小泉劇場は平時に行われていたわけではないといえる。
【佐藤】時代区分で分ければ、9・11でポスト冷戦は終わった。片山さんが言う世界的準非常事態時代はポスト・ポスト冷戦と言える時代でしょうね。
田中外相は「金正男」を日本で確保するべきだった
【片山】当時は田中眞紀子が外務大臣でした。ポスト・ポスト冷戦時代に突入して、国際外交がもっとも重要視されていた時期にもかかわらず1年足らずで更迭されましたね。
【佐藤】政権発足時、外務省ではほとんどの人間が田中だけは勘弁してほしいと考えていました。でも徐々に省内で田中派が強くなっていった。やがて死ぬまでついていきますという連中まで出てきた。
【片山】(苦笑)。そんな人たちがいたんですね。
【佐藤】主流派から冷遇されていた人には、田中外相誕生は出世のチャンスだったんです。
【片山】田中眞紀子が外相だった01年5月に金正男と見られる男が成田空港で拘束されました。しかし慌てて帰国させてしまった。彼を日本で確保しておけば、日朝外交の切り札になったのではないですか。
【佐藤】おっしゃるとおりです。でも、田中眞紀子が「そんなの怖いからすぐに帰しちゃいなさい」と政治主導で帰還させてしまったんです。また9・11直後に田中は、アメリカ国防省がスミソニアン博物館に避難しているという機密をマスコミにしゃべってしまった。ここでやっと外務省内でも田中に対する危機感が露わになった。
小泉訪朝にあった2つの大きな問題
【片山】日朝関係が一気に動き出したのは、田中外相更迭後です。小泉訪朝が02年9月。日朝首脳会談が行われて、日朝平壌宣言が交わされた。5人の拉致被害者が帰国しました。さらに2年後には5人の拉致被害者家族も帰国した。拉致被害者奪還が小泉政権最大の功績という見方をする人が多い。佐藤さんは小泉訪朝をどう評価されますか?
【佐藤】9月17日ですよね。私の初公判の日だった。小泉訪朝のおかげで、私の裁判の記事が小さくてすんだ。個人的には、小泉訪朝には感謝しているんです。あれがなければ、一面トップで書かれていたかもしれません。
ただし、あの交渉には大きな問題があった。首脳会談を実現させた外務省の田中均が北朝鮮との約束を破ってしまったのです。