【片山】なるほど。そう伺うと、森喜朗はやはり早稲田大学雄弁会出身の政治家という気がしますね。アドリブを重んじるが、細かいところはよく確かめる。学生弁論の基本ですから。事実関係を間違えると野次り倒されるので、慎重さが身につきます。しかし、サービス精神も旺盛ですので、舌禍事件も起こしやすい。それが学生弁士根性というやつです。私も雄弁会のライバルの慶應義塾大学弁論部にいましたので、雄弁会の気質は多少知っております。

すると、森さんの前の総理大臣たちは、外交の場では、森首相とはまた違ったやり方で、会談に臨んでいたわけですね。

最悪だったのは外務大臣だった河野洋平

【佐藤】それぞれにスタイルが違っていました。小渕はひたすら下を向いて紙を読む。だから会談録は完璧なんだけど、相手の心は読めない。真逆なのが橋本。すべてアドリブだから人間関係の構築はうまい半面、よく間違える。

佐藤優、片山杜秀『平成史』(小学館)

最悪だったのは外務大臣だった河野洋平。「俺は外相2回目だから説明はいらない」と官僚のブリーフィングを聞かず、新聞で読んだ知識で外相会談に臨むんです。

00年に河野とロシアのイワノフ外相が会談したときのことです。河野は「日本はイスラム研究を重視していく」「イランというのは重要な国だ」と延々と語りました。するとロシアの外務事務次官が「おい、佐藤。日本政府は方針を転換したのか。それとも不規則発言か、どっちか教えてくれ」と慌てて聞いてくる。

それは当然で、当時はアメリカがイランに制裁をかけていた時期です。日本政府の政策変更だとしたらロシアにとっては非常に大きな情報になる。私は「大臣はなんの資料も見ていないし、ブリーフィングも受けていない。不規則発言だ」と伝えるとロシアの外務次官も「そうだよな。ありえないよな」と呆れていました。私たちも頼むから普通にやってくれ、と思っていました。

【片山】それは危なっかしい。森内閣は蜃気楼内閣と揶揄されましたが、いま振り返れば、大きな失点があったわけではないですね。しかし01年2月に起きたえひめ丸沈没事故の対応や失言で支持率が一気に下がり、退陣に追い込まれてしまった。

【佐藤】冷静に考えれば、えひめ丸は事故だから、危機管理の問題ではなかった。逆に言えば、決定的なミスを犯していないから潜在力を残して、いまだにキングメーカーとして影響力を及ぼしているわけです。

「自民党をぶっ壊す」の小泉純一郎

【佐藤】01年4月の森内閣退陣後に「自民党をぶっ壊す」をキャッチフレーズにして登場したのが、小泉純一郎でした。

【片山】彼は本当に自民党を、いや、政党政治を根本からぶっ壊した。まず長期政権を担ってきた自民党の支持母体だった郵便局や農協を狙い撃ちにした。

遡れば、80年代以降、右派も左派も組織をひたすら破壊してきました。三公社五現業も解体されて、労働組合も組織を維持できない。何度も指摘してきた通り個人と国家の間に存在していた中間団体が排除されてしまった。