現状維持では真の外交といえない。弱腰批判を乗り越え妥協・譲歩の道を
自分自身に力のある者が、さらに他人の力を借りる場合には無敵となる。ところが自分自身では力のない者が、他人の力を借りる場合には、交渉相手や周囲からはバカにされるし、何と言っても、その力を借りた他人とは、完全に上下の関係に陥ってしまう。
(略)
自分自身弱い力のまま、相手と譲歩して交渉を進めるべきか。それとも他人の力を借りて、強気に交渉を進めていくべきか。
原則は、前者。まずは自分のありのままの力を基に、交渉を進めていくべきである。
どうせ力を借りた他人から見返りの利益を求められるなら、その見返りの利益分を、交渉相手に直接提供した方がいい。力を借りた他人に見返りの利益を渡すことと、他人の力を借りずに交渉相手に直接利益を与える譲歩をすることを比べて、当方の持ち出しに大差がないのであれば、まずは他人の力を借りずに、交渉相手に直接利益を与える譲歩をすべきだ。なぜなら、他人の力を借りた場合の方が、交渉相手や周囲からリスペクトをされない分、マイナスになるからだ。
具体的に見てみよう。日本はアメリカの力を全面的に頼っている。日本固有の問題である北朝鮮による日本人拉致問題についても、アメリカや韓国に、北朝鮮との交渉議題に上げてもらうよう頼んでいる。憲法9条の下、自らの力が制限されている日本においては、アメリカや韓国の力を頼るしかない。しかし、そのようにアメリカや韓国の力を頼れば、アメリカや韓国にそれ相応の見返りを求められることを覚悟しなければならない。そのような見返りに応じるくらいなら、今の力の弱い日本のまま、北朝鮮に直接それなりの譲歩をした方が、北朝鮮はもちろん周囲の世界各国からも、ジャイアンであるアメリカの力を借りるスネ夫のように見られることは避けられる。
(略)
韓国の文在寅氏は、アメリカや日本から苦言を呈されながらも、融和政策つまり北朝鮮への譲歩の姿勢を貫いた。自分たち韓国に、北朝鮮と軍事的に勝負する力がないことを認識していたなら、的確な判断だ。アメリカの力を横に置き、自分たち韓国の軍事力を率直に分析・評価する。それも単純な軍の力だけでなく、国民が被害を受けたときのことをも想定する。
北朝鮮はあのような国だから、国民に被害が出てもどうってことない。しかし民主国家である韓国の場合は異なる。国民に大きな被害が出れば政権が吹っ飛ぶ。日本は韓国以上に国民の被害に神経質だ。
このようなことを考慮し、もちろん同一民族による融和という思想を基に、「自らの意思」で北朝鮮に譲歩し、融和をお願いしたということが北朝鮮情勢を動かした。自分たちに力がないなら、譲歩することによってしか事態は動かせない。
逆に、北朝鮮は核兵器保有という「自らの意思」を貫いたことによって事態を動かした。
この点僕は、「日本は自らの意思で事態を動かしていない。外交に意思がない」と「橋下徹の日本改造論」というインターネットの番組(AbemaTV)で指摘した。そしたら出演者の松川るい参議院議員(外交官出身)が、次のように反論してきた。
「日本も尖閣諸島については防衛の意思をはっきり示し、防衛力を強化している。『自由で開かれたアジア太平洋戦略』も明確な日本の外交意思だ」とね。
この日本外交が良い方向であることは否定しない。でも事態を動かす「自らの意思」とは言えないんだよね。
尖閣諸島の防衛強化は、あくまでも中国に攻められているところを防戦=食い止めるところまで。すなわち中国公船の領海侵入を食い止めたり、接続水域への侵入に警告を発するところまで。それ以上に、港や灯台などの公的施設を尖閣に設置するなどして尖閣を完全に日本の領土として確保するまでの意思は示していない。また「自由で開かれたインド太平洋戦略」は、皆で仲良くしていきましょうね、といういつもの日本の外交戦略で、中国が力を入れている南シナ海の領海化や一帯一路構想に「対抗するだけ」であって、膠着している事態を自らの意思と能力でグリグリと動かしていくものじゃない。あくまでも防戦なんだよね。
(略)
これが日本外交の弱さなんだ。それは力がないことの弱さではない。事態を動かす強い意思がないことが日本外交の弱さだ。日本は軍事力で事態を動かすわけにはいかない。そうであれば、力がないなら、ないなりの対応でもって、事態を動かさなければならないのに、その強い意思がないことの弱さなんだ。
(略)