エイ政が始皇帝になってから前述した清朝の宣統帝の退位まで、中国史上に登場した皇帝は600人近くにも上る。その統治下で数多くの王朝が入れ替わり、二千数百年間の皇帝政治の歴史を演じてきたわけである。
皇帝政治の歴史は、民衆にとっては苦しみそのもの
とはいえ、始皇帝が登場してからの二千数百年間における皇帝政治の歴史は、中国の民にとっては幸せとはいえないものだった。1つの王朝が立って新しい皇帝とその一族の支配が始まると、皇帝独裁のもとで暴政や腐敗が大手を振ってまかり通り、民たちはいつも苦しんだ。そうした皇帝独裁の暴政に耐えきれなくなった民が立ち上がって反乱を起こし、それによって国内は動乱と内戦の天下大乱に突入し、いわゆる易姓革命が起きたのである。
その後、やがて戦乱は収拾し、創建された新しい王朝のもとで秩序と安定が取り戻される。全国の民はつかの間の休息を得られるが、新しい王朝の皇帝政治のもとで再び暴政と腐敗が始まると、人民は以前の王朝で体験したような苦しみを味わうこととなる。そこで新王朝の暴政に耐えられなくなった人民がもう一度反乱を起こすのは必定だ。
つまり、皇帝政治に端を発するところの、暴政・腐敗と動乱・内戦の交替という終わらない循環こそ、中国の歴史の常であり、この循環のなかで、中国の民はいつまでたっても苦しみから逃れることができない。皇帝政治が続くかぎり、暴政と腐敗が必ず発生して民が苦しみ、その暴政と腐敗によって反乱と内戦が引き起こされれば、民はますます苦しむのである。
中国民衆が考え出した驚くべき「論理のすり替え」
そうであれば本来、中国の歴史がこの負の循環から逃れるためには、まず皇帝政治そのものから脱却しなければならないはずだ。その事実に頭のいい中国人たちが気づいていないはずがない。
しかしそれこそ不思議なことに、始皇帝以来の二千四数百年の長い歴史のなかで、中国人は多くの王朝をつぶしてきながらも、皇帝政治そのものをつぶそうとはしなかった。それどころか、21世紀の現代に至っても、この皇帝政治という伝統を受け継いでいることが、習近平政権によって証明されたのだ。