分が悪いリベラルへの処方箋
ハイトが直接述べているわけではないが、リベラルが重きを置く3つの基盤(ケア・公正・自由)は、理性的な説明とも結びつきやすい。とすると、相対的な比較としては、リベラルは<乗り手=理性>に訴えかけるのに対して、保守は<象=直観>に訴えかけると捉えることもできるだろう。そして「理性は情熱の召使いにすぎない」のであれば、リベラルはどうしても負け戦になってしまう。
このハイトの議論には、かなりの説得力を感じるのではないだろうか。同書がアメリカで刊行されたのは2012年だが、2016年に起きたイギリスのEU離脱やトランプ現象、さらに世界各地での右翼勢力の台頭などを見ると、左派・リベラルの退潮と右派・保守の勢力拡大は、さらに加速しているようにも思える。
以前、とあるヨーロッパ政治の研究者は、EUのゆくえを展望する講演のなかで、「右派の政治家は左派・リベラルの政治家に比べて人間味が感じられる」とこぼしていた。ハイトの主張を裏付けるような発言だ。
では、リベラルはどうすればいいのだろうか。ハイトが提出するリベラルへの処方箋は、リベラルも保守と同様に、すべての道徳基盤に対応すべき、というものである。煎じ詰めれば、理性ではなく直観に訴えかけよ、ということになるだろう。
<したがって、道徳や政治に関して、誰かの考えを変えたければ、まず<象>に語りかけるべきである。直観に反することを信じさせようとしても、その人は全力でそれを回避しよう(あなたの論拠を疑う理由を見つけよう)とするだろう。この回避の試みは、ほぼどんな場合でも成功する>
だが、直観主義者ハイトに対して、痛烈な批判を浴びせた哲学者がいる。それが、この連載でもたびたび言及しているジョセフ・ヒースだ。次回は、ハイトに対するヒースの批判を見ていこう。