経験の浅い看護師の証言が採用された
さらに、須田にとどめを刺したのが現場に居合わせた一人の看護師の証言だった。経験の浅い、その看護師は、筋弛緩剤は自分が静脈に注射し、それを指示したのが主治医の須田だったと供述した。ミオブロックの量も、即死に至る3アンプルで、須田が認識する1アンプルの3倍だった。須田のカルテと看護師の看護記録でも、その食い違いは見られた。須田は、ため息まじりの声を漏らして語った。
「なんで看護師が注射するんですか? 事実と違う。だから私は、最高裁まで争ったんです。そんなことをしたら、本当に殺人なんですよ。彼女が言うようにやったら、それは即死ですからね。医療現場で筋弛緩剤を3本も使うなんて、誰も信じないと思っていたんですけれど、彼女がきっちりと言って。それを他の先生方が曖昧な返事でそうだったと思うとか、そう書いてあったと思うなんて言ったので、事実が歪められてしまったんです」
一審の横浜地裁では、妻の発言に加え、看護師の証言も採用された。しかし、2005年3月からの控訴審の東京裁判では、看護師の証言は変わらず採用されたが、家族側の証言を証拠不十分で取り下げ、求刑も3年から1年に減刑された。
2009年12月、最高裁の判決通知
また、看護師の態度が一変し、涙ぐんで証言をする場面もあったと、須田は振り返る。
「一審の時、彼女が私と話をしたいって言ってくれたんです。私は喜んでというところだったのに、弁護士に止められたんです。控訴審に出てきた時は、一審の時とは全然喋り方が違ったので、思うところがあったんでしょうね」
2007年3月、須田は、控訴審判決に対する不服申し立てで上告した。最高裁は事実関係を争う事実審でなく、法令違反の有無を判断する法律審である。「患者の自己決定権」や「医師の治療義務の限界」が主に審議されたが、須田を納得させる議論には、ほど遠かった。
2009年12月、最高裁の判決通知は、「延命治療の中止を行ったことは法律上許されず、殺人罪に該当する」だった。その決め手となったのは、「患者の死期(余命)を判断するための脳波等の検査がなかった」ことが一点。もう一点は、「延命治療の中止は、昏睡状態にあった患者の回復を諦めた家族からの要請によるが、その要請は余命を伝えた上でなされたものでなく、患者の推定的意思に基づかない」という結論だった。
後者に関しては、私も頷かざるを得ない。だが、須田は、安楽死ではなく、延命措置の中止との認識だった。「余命を伝えていない」「本人の意思を確認していない」ことが同じく問題となった京北病院の山中とは、前提条件が違う。彼女が独断で投与を決めていない点も差し引く必要があるように思えた。もちろん、彼女の話を全面的に信じればの話である。
こうして、6年9カ月に亘る公判は幕を閉じた。皮肉にも、土井が他界した直後、医療現場にはぜんそくの特効薬となる吸引ステロイドの新薬が導入された。これにより、ぜんそくの歴史が変わった。「あと少し早ければ、この事件も起きなかった」と、須田は苦笑いした。