病院側は金銭の補償もちらつかせた
こちらが黙って耳をそば立てていると、土井の息子は、口数を増やしていった。
「数年後、突然、うちに病院の関係者が4人来たんだよ。あの件について、どうか伏せていてくれとね。で、金も持ってきたんだけど、俺は『金なんかいらねえんだよ、俺が欲しいのは親父の命なんだよ』ってね。ぶん殴ってやろうかと思いましたよ。それで、俺はこんなだから、口悪いし、短気だからさ、黙ってねえんだよ。あいつらに俺は『あれって安楽死じゃねぇのか』って言ったんだよ。俺は起こったことをそのまま言うぞって言ったら、あいつら自身が病院で会見したんだよ」
前段にマスコミへのリークがあり、病院側は慌てて足を運んだのだろう。病院側は、金銭の補償もちらつかせたという。秀夫は、その行動こそ、父の死を軽視していると捉えた。
2002年4月19日、院長らが、記者会見を行い、「安楽死(が行われるため)の要件は満たしていない」と発表し、謝罪した。医師の行為に問題があったことを病院自ら認めたのだ。
組織防衛を選んだ病院は、須田を見捨てた。責任の矛先は須田一人に向かうことになる。
秀夫は、他の従業員が中に入ってくると、話を打ち切った。
「今日はたまたま従業員がいないからこんなこと話せたけど、もしいたら、あんたを押し倒してでも追い払っていたからな。次はもうないと思ってくれ。来ても話はしねえからな」
一家の大黒柱だった父親を失った彼の思いは、十分に伝わってきた。そして思う。川崎協同病院事件は、本当に安楽死事件として、扱われるべきものだったのか。
「須田がしたことは殺人ではない」
須田もまた東海大学事件と似た経過をたどった。今は、大倉山で地元住民相手のクリニックを営む。それはそれで、快活な須田の天職に思えるが、一方で、人の命を預かる医師たちの立場の弱さを感じる。組織は守ってくれない。そして、この国では法律も守ってくれない。
須田はこんなことを最後に言った。
「司法は、死を他人が導いてはいけない、と判断しました。自分で決める死と他人が決める死には、明確な線が引かれるべきだ、と。でも私は、必ずしもそうは思わない。自分のことを一番よく分かってくれている人を側において死ぬことは理想だと思うんです。自分でない他人にすべてを委ねられるって、最高に幸せじゃないですか」
「自分で決める死」を「個人の死」と言い換えてみる。欧米と違い、日本では、「個人」が「家族」という土台の上に存在している。須田の言う「他人」が家族を指す場合、個人とも連なっていることになる。これらを司法で明確に分けることは困難だろう。
日本では、死の議論が未成熟な上、なおかつ「終末期の判断」を医師任せにしている。だから最終的に、家族や医師の間で摩擦を引き起こす。そして訴訟になれば、医師側は無罪を勝ち取れない。これこそ、日本の現状であると思う。
私なりの最終的な答えは出た。須田がしたことは殺人ではない。
ジャーナリスト
1976年、長野県生まれ。18歳で単身アメリカに渡り、ウエスト・バージニア州立大学外国語学部を卒業。その後、スペイン・バルセロナ大学大学院で国際論修士、同大学院コロンビア・ジャーナリズム・スクールで、ジャーナリズム修士。フランス語、スペイン語、英語、ポルトガル語、カタラン語を話す。フランスやスペインを拠点としながら世界各地を取材。主な著書に、小学館ノンフィクション大賞優秀賞を受賞した『卵子探しています 世界の不妊・生殖医療現場を訪ねて』など。