「#キリン不買運動」が拡散される事態に発展
キリンビールは缶チューハイ「氷結無糖」のウェブ広告から、経済学者の成田悠輔氏をはずしたことを明らかにした。過去に少子高齢化問題をめぐって「高齢者の集団自決」発言をした同氏の起用に批判が集まり、「#キリン不買運動」というハッシュタグがX(旧Twitter)をはじめとしたSNSで巻き起こった末のことである。
それは奇しくも、新著『大往生の作法 在宅医だからわかった人生最終コーナーの歩き方』(角川新書)が発刊された、わずか5日後のことであった。
なぜ「奇しくも」なのか。それは今回の不買運動のきっかけとなった成田氏の発言こそが、新著執筆の大きな動機であったからだ。
私は「在宅医療」をおこなう臨床医だ。日頃から高齢者や末期がん患者さんをはじめとした人生終末期を目の前にした人たちと多くの時間を共有している。そして、それらの人たちは、自身の残された時間の短さを自覚しつつも、それぞれに日々を生きている。
そうした人たちと接している私に言わせれば、氏の少子高齢化や社会保障費の増大をめぐる以下の発言は、暴論を超えた、人としての感性が完全に欠落した発言にしか聞こえない。
より問題なのは、同調する意見が多いこと
「唯一の解決策はハッキリしていると思っていて。結局、高齢者の集団自決、集団切腹みたいなものではないか」
「将来的にあり得る話としては、安楽死の解禁とか、安楽死の強制みたいな話も、議論に出てくると思うんですよね」
彼を擁護する声には、「あくまでもメタファーであり、本当に殺せと言っているわけではない。既得権にしがみつく老害に引退してもらおうというのが真意だ」などというものもあるようだが、安楽死という言葉を使っている以上、この擁護は当然ながら成立しない。
もっとも、ネットでは成田氏ばかりが批判の対象として注目されているが、当然のことながら彼一人の問題に矮小化すべきではない。彼は単なる「社会保障費抑制論者」「経済的優生論者」のいちアイコンに過ぎない。彼ほど表現は過激でなくとも、同様の主張を持論としている人は、けっこう多いと私は考えている。
そしてこれらの主張は、いつでもそのターゲットを高齢者から、それ以外の「社会の役に立たないお荷物」とのレッテルを貼り付けた人へと広げられてゆく。これが恐ろしいのだ。だから私はこういった「優生思想」を警戒するとともに、巧みな話術や目を惹くキャラクターに惑わされてつい同調してしまう人たちに、騙されないよう警告すべく筆を執ったのである。