選挙の勝者にこそ説明責任が必要だ
多数決を利用する場合、注意したいのが「説明責任」だ。集団レベルの決定には、反対意見の人も従わされる。全員は無理でも極力多くの人が納得できるよう、「なぜAよりBがいいか」について、説明を尽くさねばならない。
本来、理屈Aと理屈Bが対立し、かつ一定期間内にどちらかに決めなければならないときに、最後の手段として利用するのが多数決であるべきだ。
「理屈で決められないから、やむなく多数決」なのであって、「理屈は無視して、とにかく多数決」は、使い方を間違えている。さらにそこで「多数決で勝ったから従え。説明責任も不要」という態度に出るのは、多数決の横暴である。
与党が自ら公職選挙法と選挙制度を変える可能性はほぼないだろう。しかし私は変わっていく期待は捨てていない。たとえばマスコミが世論調査をする際、ボルダルールを採用すれば、人々がどの政党をどの程度評価しているかの詳細や、人気の高い政党がどれか、よりよくわかるようになる。
人気があるとわかった政党は政策を変える必要がなくなり、国民にとっても利益になる。多数決に代わる優れた決め方を取り入れることで、「私たち」が納得できる社会が近づくことを望む。
慶應義塾大学経済学部教授1975年、広島県生まれ。米国ロチェスター大学Ph.D(経済学)。横浜市立大学、横浜国立大学、慶應義塾大学の准教授を経て、2014年より慶應義塾大学経済学部教授。著書に『多数決を疑う』(岩波新書)、『大人のための社会科』(共著、有斐閣)など。