08年、イーアスへのサイバーダインスタジオの設置や代理店契約と並んで、サイバーダインは大和ハウスから20%の出資を受け入れた。大和ハウスの持ち株は議決権を持たない優先株ではあるが、それだけ深い関係を築くことができたのは、ごくごく単純化していえば、佐々木が山海教授と意気投合したからだ。

「最初は現在の4分の1くらいの規模で、サイエンスカフェのようなスペースをつくるつもりでした。ところが山海先生と話を進めるうちに、どんどん飛躍していって『やるんだったら大きいことを』となっていきましてね」

こういって佐々木は笑う。

「もう辞めようか」思い悩んだ雪の日

「軍事利用は絶対に許さない」

固い信念を持つ山海教授と信頼関係を築くことができた佐々木は、誤解をおそれずにいえば稀代の「人たらし」である。といっても小細工や変化球を嫌い、直球勝負で懐へ入り込む正統派だ。

「目的は“一人勝ち”ではなく地元全体を活性化すること」

“開眼”したのは、社会人になってからのこと。中央大学経済学部を出て1985年に入社した佐々木は、「流通店舗」を専門とする営業マンとして茨城支店土浦出張所に配属された。農家など地主をまわって、小売店やホテルなどの建設を持ちかけるのが仕事だが、当時の茨城県南部は、同年の科学万博開催で盛り上がっていた景気が急速に冷え込み、注文をとるどころではなかった。

結局、1年間というもの「受注ゼロ」。1年目の冬、雪が降った日に仕事をさぼり、車のなかで本を読みながら「もう辞めようか。いや、3年間は頑張ろう」と思い悩んだこともあるという。

だが2年目からは、おもしろいように契約がとれるようになった。

当時の土浦出張所は営業マン5人ほどの小所帯なので、同行してくれる先輩がいなかった。また、会社として実績のないエリアを任されたので仕掛かり中の案件を引き継ぐこともなく、まったくの新規開拓から始めるしかなかった。種明かしをすれば、そのために成果をあげるのが遅くなった、ということなのだ。