00年代に話を戻すと、この時期は「新書ブーム」でもありました。出版不況の影響で、(フォーマットが統一されているため)単価が安くでき、読者が買い求めやすい新書判に各社が参入したというわけです。教養新書においては、それまで岩波、中公、講談社が「御三家」と呼ばれて寡占市場を形成していましたが、00年代前後には筑摩、新潮、光文社を「新御三家」と呼ぶ向きもあるなど、新興勢力が次々に現れました。
2005年出版の拙著『さおだけ屋はなぜ潰れないのか?』は新書におけるビジネス書ブームを巻き起こしたエポックだったとたまに言われております。しかし、実際のところは『さおだけ屋は~』の前からビジネス系の新書は徐々に出始めていました。
また、デフレ経済は新書ばかりでなく、文庫市場にも影響を及ぼしました。「いきなり文庫」の登場です。通常は、単行本で出た本が数年後に文庫になるというサイクルがあるのですが、書き下ろし作品をすぐ文庫に収めるケースが流行したのもこの頃です。
タイトルという大問題
出版社や執筆者が増えたことで、00年代のビジネス書市場は活況を呈しました。
しかし光が濃ければその分、影も濃くなるものです。ブームというものには一般に、時間の経過とともに質より量という側面が生まれ、その結果、生産者に対する消費者の信頼は低下します。それはビジネス書も例外ではありませんでした。
かつて私は五島勉さんの『ノストラダムスの大予言』を半ば本気で信じていましたが、それは紙の本に対する無条件の信頼があったがゆえです。総じて以前は、紙の本に嘘が書いてあるはずがないという、信仰にも近いものが世の空気にありました。
ところが、00年代にさまざまな本が乱造された結果、「本なんて、うのみにできない」という警戒心が読者の間に生まれてしまったのではないでしょうか。情報リテラシーとしてはそのほうが正しいような気もしますが、本の信頼度が低下したことはいいことではありません。
そんな中でも、とりわけ読者をがっかりさせる要因になったのが「タイトル」でしょう。
00年代は「軽い本」が売れた時代です。各社が「ふざけたタイトル」「釣りタイトル」「過激なタイトル」を追い求めました。
しかし、タイトルで煽った期待値以上に充実したコンテンツを提供することは、非常に難しいものです。羊頭狗肉的な本にガッカリするという経験を何度も積み重ねた結果、いまの読者はタイトルに「不感症」になってしまいました。