2000年代に起きたビジネス書の大ブーム。だが、その活況は弊害も残した。出版社や著者が「質」より「量」を求めた結果、読者をがっかりさせる「釣りタイトル」が濫造されたのだ。151万部のヒット作『さおだけ屋はなぜ潰れないのか?』(光文社新書)の著者・山田真哉氏が、当事者としてあのブームを総括する――。

※以下は山田真哉『平成のビジネス書 「黄金期」の教え』(中公新書ラクレ)の「考察編 ビジネス書バブルはなぜ崩壊したのか?」からの抜粋です。

2000年代はなぜビジネス書ブームだったのでしょう。

総括すると、次の2点に要約可能です。

(1)誰でも本が書ける時代……DTPやネット等のインフラが整備されたことによって、執筆者候補が増加した。それにともない刊行点数が増加した。
(2)新興出版勢力の台頭……出版不況の中、経営多角化でビジネス書専門出版社以外からの新規参入が増加した。それにより、ビジネス書のジャンルの幅が広がった。

『平成のビジネス書』(著:山田真哉/中公新書ラクレ)

まず、(1)「誰でも本が書ける時代」について、補足しましょう。

ネットが普及したことで、ブログやメールマガジン(メルマガ)などを通じて定期的にコンテンツを供給する人たちが現れました。この状況は出版社の側からすると、執筆者の力量や人気がある程度事前に推し量れるため、執筆依頼をする際のリスクヘッジになるという利点がありました。「メルマガ発」「ブログ発」の書籍が増えてきたのはこの時期です。

また各出版社にDTP(Desktop publishing)環境が整い、急速に進化したのもこの時期で、書籍の製作プロセスが格段に簡略化されました。本筋から逸れるためここでは簡単に記しますが、90年代までそれぞれ専門の職人が行っていた、ページのデザイン、文字の配置、写真の調整といった工程が、編集部にある市販パソコン1台ですべてできるようになったのです。

この製作環境の変化によって、メルマガやブログの原稿をデータで受け取れば、すぐさまビジネス書ができあがるというサイクルができあがったのです。

「ビジネス書保守本流」への揺り戻し

次に、(2)「新興出版勢力の台頭」について。

90年代までは、ダイヤモンド社や日本経済新聞社のように、旧来からビジネス書に強い出版社がベストセラーランキングの常連でした。

ところが、出版不況で多角化に打開策を求めた版元が増えた結果、全体の出版市場が縮小しているにもかかわらず、ビジネス書の刊行点数は増えたのです。この時期のビジネス書のベストセラーを見てみると、宝島社、扶桑社、サンマーク出版、フォレスト出版、明日香出版社、あさ出版……といったフットワークの良い新興勢力が版元として散見されます。

ちなみに10年代になると、ダイヤモンド社や東洋経済新報社といった、いわば「保守本流」の逆襲が始まります。その端緒となったのが2009年の『もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら』(通称『もしドラ』。ダイヤモンド社)です。長いタイトルと萌え系のカバーイラストが印象的な作品ですが、ピーター・ドラッカーの教えを下敷きにした内容で、ミリオンセラーになった理由には、本格的なものに対するニーズの高まりという変化が潜んでいます。