パリピ的なマインドに満ちたミニオンたち

ミニオンたちは実にパリピ的なマインドに満ちた存在です。基本的にポジティブでアッパー。良い意味で能天気。すぐ歌い、すぐ騒ぐ。バカだけど裏表がなく、憎めない。ロジックは苦手(ほとんど言葉がしゃべれない)ですが感情は豊かで、喜怒哀楽を全身で表現する。直感で行動し、あまり悩まない。何より、見た目や挙動が多幸感に満ち満ちています。ハロウィンとの親和性が高いのもうなずけます。

『怪盗グルーのミニオン大脱走』の宣伝ポスター

そもそも、「怪盗グルー」シリーズに通底する雰囲気こそが、時代が求める空気なのかもしれません。一言でいうなら「パーティー感」。スクリーンで、大量のミニオンたちが飛んだり跳ねたり踊ったりバカをやっている。「楽しそう! あの空間に参加したい!」それが若者たちを劇場に向かわせます。

「ファミリー向けのCGアニメ」は他にもたくさんありますが、「子どもたち+付き添いの大人」だけで集客が止まってしまうのか、そこに10~20代の若者が加わるかで、命運が分かれます。「怪盗グルー」シリーズは若者の支持をとりつけ、見事に後者となりました。その鍵となったのが、ミニオンというわけです。

『怪盗グルーのミニオン大脱走』の日本での宣伝展開も、当初から完全にミニオン推しでした。予告編やプロモーション映像ではミニオンたちの楽しげなミュージカルシーンが大々的に取り上げられ、囚人服を着たミニオンが尻を出している姿も印象的です。しかもタイトルには「大脱走」とありますから、ミニオンたちが集団で脱獄するアドベンチャーに違いない! と期待は高まります。

「大脱走」という邦題はかなり大げさ

ところが、いざ劇場に行ってみると、予想した内容とは少し違っていました。

たしかにミニオンたちはミュージカルを披露しますし、刑務所にも入りますが、本筋とはあまり関係ないサイドストーリーで、脱走劇自体にそれほど尺は割かれません。ストーリーの軸足は決して脱走劇にあるわけではないので、「ミニオン大脱走」という邦題はかなり大げさな印象をもちます。物語の中心は、主人公のグルーにそっくりな双子の兄の登場と、1980年代カルチャーを引きずった敵、バルタザール・ブラットの強烈なキャラクター描写および対決です。

バルタザール・ブラットの登場シーンではマイケル・ジャクソンやa-ha(アーハ)がBGMとして流れます。爆笑モノの80年代ファッション、ルービック・キューブ、ウォークマン、レオタードなど、ガジェットもいちいち80年代フィーチャーゆえ、製作側がそれで観客を笑かしにいこうとしている意図は明白。中年ブラットの悲しい過去も、ドラマ的には見どころといえるでしょう。

しかし日本の宣伝において、それらは前面には出ていません。当然です。本作の「アラフォーホイホイ」要素を打ち出して彼らを喜ばせても、子どもや若者は呼べません。子どもを呼べば自動的に同伴者の親がついてきますし、若者は友達を誘って観に行きます。デートムービーにもなりうるでしょう。しかしアラフォーはそこまで人を連れてきてくれません。集客を最大化するためには、「80年代推し」ではなく「ミニオン推し」が正解でした。