その後、4年ほど日本に戻りましたが、ふたたび海外へ行くことに。39歳のとき、香港支店に副支店長で赴任することになりました。ここでも大きな挫折を経験します。
香港での商談相手は、地元の財閥系企業のオーナーたち。華僑の彼らは、副支店長であっても、1回目は表敬訪問として会ってくれるのですが、2回目以降は会う意義を感じなければ会ってくれません。肩書だけでは、何もできなかったのです。どんな新しい案件を持ってきたか、どんなビジネスのチャンスを持ってきたか。彼らはそこに価値を置いていました。
そこで私は、一つでも多くの新しい提案を持って、彼らに会いにいきました。これまでにない事業戦略の提案であったり、日本企業とのビジネスマッチングの提案であったり、 はじめのうちは、興味を持ってもらえず、会話が数分で終わることもありました。それでも提案の内容を見直したうえで、何度も何度も会いにいく。そうすることで次第に時間をとってくれるようになり、大型の案件もまとまるようになっていきました。
その後、日本に戻って商社担当の営業部長をやりましたが、ここでもこれまでにない新しい提案を持っていこうと奔走しました。銀行の営業担当は通常は主に財務部門の担当者に会いにいきます。しかし、私は事業部門の担当者ばかりを訪問していました。各事業部門の現場でどんなことが行われていて、どんな課題があるのか。最初のうちは、「銀行が何をしにきたんだ」とはね返されることもよくありましたが、めげずに通いました。そうすることで次第に現状が見えてきて、先方が認識していなかったニーズに対する提案ができるようになっていったのです。
「フィンテック」にも前向きに
頭取になった今でも、時代の変化を肌で感じ、新しい考えを毎日でも出せるようにしたい。そのために、毎朝6時すぎに出勤し、8時半くらいまで、今日すべきこと、1週間で、1カ月で、1年で考えるべきことを整理し、新しいアイデアを考えています。
銀行という業態は今、ビジネスモデルそのものが大きく変わろうとしています。ITと金融を融合したフィンテックを進める企業が、これまで銀行が担ってきた領域にも、どんどん新規参入してきている。また、いろいろな決済手段が生み出され、ATMの利用が24時間365日開店しているコンビニに移るなど、お客様が銀行の店舗を訪れる機会は減ってきています。
難しい舵取りを迫られる時代ではありますが、だからこそ、私は挑戦し続けます。挑戦をすれば、当然失敗することもあります。そのたびに、「百折不撓」の精神を思い出し、常に前を向いて進んでいきたい。そうすれば必ず道は開けると信じています。