ピンチを支えた母校の校訓
「千仞の嶽 金華山 百里の水 長良川……」。母校の県立岐阜高校を卒業して40年以上になりますが、今も校歌はすべて歌えます。その2番の歌詞に、「華陽の健児 ここに生れて 国家の為に 明け暮れ学ぶ……百折不撓」というのがあるんですね。
座禅の姿と心を具象化した達磨大師の言葉として知られる「七転八起」は、何度失敗しても屈せず、起き上がる「百折不撓」の精神につながります。
百折不撓は校訓でもあったのですが、大学受験で失敗して浪人し、銀行に入ってからも多くのピンチや失敗を経験してきました。それでもめげずに頑張ろうと思えたのは、この言葉のおかげかもしれません。
これまでの仕事人生の中で、最もピンチを味わい、乗り越えた経験の一つが、ニューヨーク支店への赴任です。27歳のときでした。
もともと私は大の英語嫌い。それを理由に、就職先は商社ではなく銀行を選んだほどでした。当然、日系企業を担当するのかなと思っていたら、「非日系企業を担当しろ」と言われました。当時は、大学の卒業旅行と新婚旅行以外は海外に行ったこともありません。かかってくる電話は当然、すべて英語。聞き取れないのでスペルアウト(つづりを略さずに伝えること)をお願いしても、そのスペルアウトしようとした言葉も聞き取れないといった状況でした。こういうところから始めたわけです。
当時、邦銀は業容を拡大し、格付けでもトリプルAを取って元気だった時代。赴任3年目の後半には、私も非日系企業担当の課長をやることになりました。部下は日本人一人を除いて全員現地の人間でした。しかもロースクールを出たとかMBAを取った人ばかり。
そこで学んだことは、サムシング・ディファレント、サムシング・ニュー。
「おまえはほかの人と何が違うんだ」「おまえの付加価値は何だ」と絶えず問われ続けたんです。上司に能力がないと思ったら、彼らは信頼してくれません。自分の存在意義、付加価値を示し続けなければ、部下はついてこないわけです。
チームをまとめるために考えたことは、常に新しいアイデアを持つこと。そして、それをメンバーと共有し、チームを鼓舞することでした。もちろん、最初はコミュニケーションを取ることも大変で、苦労もしましたが、「林はいつも新しいアイデアがある」と前向きな姿勢を現地の部下も理解してくれ、下手な英語でも聞いてくれるようになっていったんです。