昇進祝いにもらった「柳の絵」の意味
腹が立ったとき、我慢できないことがあるとき、そんなときは自宅に飾っている墨絵を思い出し、心を整えるようにしています。仙がい和尚という江戸時代の禅僧によるもので、柳の木が風にあおられ、枝が揺れ動く様子が描かれています。そこに書かれている言葉が「堪忍」です。
この絵との出合いは、今から14年前に遡ります。部長への昇進祝いとして、当時担当していたお客様にいただきました。
1997年、この会社に新卒で入り、営業に配属されました。私はやると決めたら徹底的にやり抜く性格で、営業という仕事が性に合っていたのでしょう。5年後の26歳のとき、最年少で部長に昇進しました。
会社に入って最初に担当したお客様が出光石油化学(現在の出光興産)でした。父親ほども年が離れた担当者の方が、私の昇進をわが事のように喜んでくれ、この絵をいただきました。出光美術館が仙がい和尚の絵を多く所有しており、それらの絵の一つのレプリカでした。
「なぜこの絵をいただけるのですか」とお聞きしたら、その方が「柳の木はどんな木だと思う?」と逆に尋ねてきました。「いつも風に枝をなびかせていて、右往左往しているイメージがありますね」と答えると、その方はこういう話をしてくれたんです。
「強い嵐が来るとほかの木は根こそぎ折れてしまうけれど、風を右に左に受け流せる柔軟な柳は決して折れない。実は柳はすごく芯が強い木なのだ。
ところで、あなたの話だ。今回の昇進を聞いて私は喜んだが、一抹の不安が頭をよぎった。あなたは新しいことに挑戦するのが好きで、一度掲げた目標は、周囲を巻き込みながら、断固達成していく。そういうまっすぐな考え方や行動は素晴らしい。けれども、何かあったら、それこそ大風でも吹いたら、もろいかもしれないよ。自分を理解してくれない上司と大喧嘩したり、意に沿わない部下を怒鳴りつけたりしてしまうかもしれない。
だから、この絵を贈るんだ。まっすぐ立ち続けるだけじゃ能がない。ときには柳のような柔軟さを発揮することも大切。そのときの心構えがこの2文字、堪忍だ。耐え難きを耐え、忍び難きを忍ぶ。福田さん、あなた堪忍するのが苦手でしょう」
まさしく図星で、私は耐え忍ぶことがなかなかできない性格だったのです。
でも、それからというもの、怒りが込み上げてきたときにその絵が頭に浮かんで語りかけてくれるんです。堪忍、堪忍と。
実は39歳で社長になったときも、出光興産の執行役員の別の方から再度、仙がい和尚の絵をプレゼントされたんです。その絵は社長室に飾ってあります。画題は鶴です。2羽の鶴が墨で描かれ、その上に「鶴ハ千年、亀ハ万年、我れハ天年」とある絵です。
歴史を紐解くと、秦の始皇帝やクレオパトラなど、古今東西、絶大な権力者たちは不老不死に関心を寄せ、そのための薬や食べ物を莫大な金や労力を使って探し出そうとしてきました。そういう人間の弱さに対して、仙がい和尚が「千年生きる鶴、万年も生きる亀にあやかろうと、じたばたする人間がいるけれど、人間の寿命は天命で決まっている。あなたはあなた、私は私、じたばたもあたふたもせず、自分らしく、ゆったりともっと気楽に生きましょう」というものでした。
社長業をやっていると、いろいろなことがあります。そんなとき、机の横に飾ってあるこの絵を見ると、ふっと肩の力が抜けるんです。
出光は非常にユニークな会社で、ベストセラー小説『海賊とよばれた男』のモデルになった出光佐三がつくった会社です。教育が手厚く、人間として魅力的な方がたくさんいる。仙がい和尚と私をつないでくれた出光のお二人にはとても感謝しています。