自分のOSを徹底的に鍛える

私の父方の実家は茨城県にある神社です。祖父が長く神主をやっていました。子供の頃、少し知恵がついてくると、祖父に「神様なんて、本当はいないんでしょう?」と尋ねたことがあります。そのとき祖父がこう答えたのを覚えています。

「神様がいると信じ、それを心の支えに生きている人にとっては、神様はいるんだよ。一方、神様を信じていない人には、必要ないかもしれない。実在うんぬんではなく、大切なのは心のより処があるかどうか、ということなんじゃないかな」

母方の祖父は医者でしたが、孫に様々なことを考えさせる人で、私の人格形成に影響を与えてくれました。私が禅や精神的な話が好きなのは、そんな育った環境も関係しているのかもしれません。

仙がい和尚は臨済宗の僧で、40代後半から本格的に絵を描きはじめたとされる。多くの禅画を残し、昭和初期には「仙がいブーム」が起こった。

そんな私が大切にしているのは人間としてのOS(オペレーティングシステム:システムの基盤)を鍛えることです。便利なアプリケーションの獲得には血眼にならない。しっかりしたOSさえあれば、その上にどんなアプリを乗せてもうまく動くと考えるからです。OSを日本語にすると、人間力とか人間としての軸、価値観、人生観ということでしょうか。

特に20代から30代前半にかけ、私はそのOSを徹底的に鍛えました。もともと様々な人から影響を受けるのが好きな性質で、上司、同僚、部下、お客様、もちろん書物からも、様々なことを学びました。「いいな」と思ったことは即座に実践もしました。

学んだことをツイッターでつぶやいたりもします。それがOSを鍛える備忘録になっていて、ときどき見返すと自分に変化を与えてくれます。変わっていく自分自身を客観視するのは、結構面白い体験です。

実は、大学時代、私は典型的なダメ学生でした。スポーツやサークル活動に打ち込むでもなし、バイトで金を稼いでは、あちこち旅行に出かけたり、地元の友人たちと飲み屋やカラオケボックスに入り浸っていました。当然、成績も低空飛行です。そんな甘ちゃんぶりを正してくれた大人がいました。ゼミの指導教官です。

ゼミもろくに行かなかったのですが、最後は先生から単位をもらいやっと卒業することができました。そのときにこう言われたんです。「単位はやろう。その代わり、何でもいいから、真面目に打ち込んでみろ。たった一度の自分の人生なんだから」と。

思えば、人生は一度きりだという先生の言葉も、「日々是好日」という禅の言葉に通じています。1日1日がよい日である。そうあるように、かけがえのない人生を過ごせ、と。どうやら、私の人生と禅の教えは切っても切れない関係にあるようです。

(構成=荻野進介 撮影=市来朋久)
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