「ブランドとは何か」を教えてくれたのはフォードだった
――なるほど。ただ私の聞く限り、マツダのエンジニアの人たちは、フォードにとても感謝している部分もありますよね?
【藤原】そうです。これはマツダだけじゃなく、フォード傘下から外れた会社(注:ジャガー、ボルボ、ランドローバーなど)全部なんですが、フォードがブランドの方向付けをしてくれた。われわれもそうですが、みんなそこで何がブランドの原点かを確認して、それを大事にしています。
――それはフォードが「マツダはこういう方向で行け」と言ったということですか?
【藤原】いいえ。彼らは、それをわれわれに考えさせてくれました。押しつけるのではなくて。そこをやったのは、フォードから来たマーティン・リーチです。われわれにヒアリングしてくれて「マツダの魅力を、ロードスターで感じた世代、赤いファミリアで感じた世代、RX-7で感じた世代、ロータリーで感じた世代。それぞれ違うけれど、みんなに共通している根っこがあるなぁ」と。そういう、マツダが元々持っていたものを(マーティン・リーチが)ピックアップしてくれて、当時マツダの社長だったマーク・フィールズが「よしそれで行こう」となった。それは割と一直線に決まったと聞いています。私自身が現場にいたわけじゃないですけど。だから私は彼らのことは大好きで、マツダの恩人だと思っています。
――そうして「Zoom-Zoom」ができた。それがフォード時代の光の部分ですね。そしてリーマンショックでフォードが撤退する。そこからコモンアーキテクチャーで行こうとスムーズに決まったんですか?
【藤原】いや、それは簡単には決まってないです。最初にスコープ(車種展開)を決めたんです。デミオからCX-9までの8車種を作ろうと。われわれは変な会社で、(販売台数の割合が)日本25%、アメリカ25%、ヨーロッパ25%、その他25%。今は中国が入ったので全部が5分の1ずつになりましたが、いずれにしても「ここ」という強いマーケットがないんです。全部大事。それを全てカバーしようとすると、デミオからCX-9までどうしても作らなくてはならない。世界の販売店とこれからずっと一緒に仕事をしていこうと思ったら、必要なクルマは8車種ある。さあどうやって作ろうかと。その当時フォードから出向してきた経営企画責任者がまだ残っていて、当然「プラットフォーム流用でやればいい」というんですよ。「モンデオをベースにアテンザを作り、フォーカスをベースにアクセラを作り……とやれば良いじゃないか?」って。「いやいや、そんなことするからおかしくなるんだと。われわれは縦に共通化したいんだ。そうしないと5万台、10万台、15万台のバラバラのクルマを作ることになる。そんなに生産効率の悪いビジネスはない」。そう言うと「いや、デミオからCX-9まで同じ部品を使って作ろうとしたら大変なことになるだろう?」と言うわけですよ。「そうじゃない、同じ部品は使わないんだ。同じ製造ラインで作れるように、同じ特性でそろえることが大事。だから固定と変動なんだ」と言ったんです。その辺からだんだんとコモンアーキテクチャーのコンセプトが出来上がっていったんです。