コモンアーキテクチャーの原点は80年代のマツダの工場にあった
――横(共通部品)ではなくて縦(特性、製造しやすさ)で統一する。どこからそんな発想が出てきたんですか?
【藤原】それは昔(編注:80年代)のマツダの工場にあったんですよ。ファミリア、カペラ、ルーチェを作っていた時代に、三面回転式の治具台座を使って、今で言う混流生産が行われていたんです。
――驚きました。世の中ではフォルクスワーゲンのMQBプラットフォーム(注:2012年発表)がコモンアーキテクチャーの原点だと言われているのですが、そうではないんですね。
【藤原】あれはわれわれからするとコモンアーキテクチャーじゃなくてコモンプラットフォームです。縦の共通化じゃなくて、横のバリエーション展開を増やすためのアーキテクチャーです。
――つまりマツダでは、大量生産が主流の時代にライン一本をフル稼働させられない苦肉の策として、縦のラインアップを全部混流生産で作る技術が生まれたということなんですね。
【藤原】ひとつのクルマがたくさん売れないという悲しい性が生んだ技術です(笑)。3車種を流せるラインを作る時に、縦の全モデルの中で「固定する部分と変動する部分」を決めるという発想ができたんです。
――それは驚愕の事実です。スクープといっていいのでは。
【藤原】車体側が回転式の治具台座を使って(混流生産をして)いた時に、どうやったらエンジンでも同じ事ができるんだと、エンジンの生産技術者が一生懸命考えていたんですね。20年ぐらいかかってエンジンもそれができるようになりました。で、車体とエンジンの両方を混流生産できるようになって、コモンアーキテクチャーにつながっていくんです。当時それを学会で発表したら、「何ですかそれは?」と誰もまともに受け取ってくれませんでした。
――コモンアーキテクチャーは、生産側が作った技術だったんですか……、ちょっと驚きます。
【藤原】そうです。普通はコモンアーキテクチャーみたいなことを開発がやろうとすると生産に怒られるんですが、ウチは逆なんです。「なんで開発はそんなことやってるの? いちいち専用にしないで汎用でやればいいのに」と。だから、コモンアーキテクチャーを発明したのは工場の人たちです。彼らはすでに混流生産でやっているのに、「開発側は毎回毎回違うプラットフォームを持って来て、失敗するとまた新しいものを持ってくる。あいつら何も懲りてない」と(開発が)怒られていました。まあ、一貫性がないから信用されていなかったということです。それを開発側が生産側に寄って行った。お客さまのために機能を上げたいと真剣に考えるなら、生産と一緒に考えないとダメだということになった。コモンアーキテクチャーの実現に向けて大きいのは、開発が反省したことですね。