生き残るにはコモンアーキテクチャーを成功させるしかなかった
――開発と生産とで、目的を統一し、コミュニケーションも増えたということですね。しかし、そうは言っても成功体験ができるまでは簡単に共有できないというか、方向の統一はできないですよね。大変失礼ながら、成功体験ができたのは最近じゃないですか。それまではどうやっていたんですか。
【藤原】それはもうそれしかなかったからです。2012年にフルSKYACTIVのCX-5が発表される前は、2008年のリーマンショックがあって2011年の東日本大震災があって、とにかくずーっと赤字の垂れ流しで、もう死ぬって言う状況でした。取りあえず耐えろ、CX-5まで耐えろ。生き残る選択肢はこれを成功させるしかないんだから。みんなで一生懸命やったじゃないか、コモンアーキテクチャーで。このあとこれが成功すればアテンザが出て、アクセラが出て、コモンアーキテクチャーの成果がバーッと出るはずだと。
――これでダメなら討ち死にだってことですね?
【藤原】そうそう(笑)。ですからCX-5が出て(2012-2013 日本)カー・オブ・ザ・イヤーを受賞した時、私はホントにホッとしました。
――それからアテンザ、アクセラが無事に売れて、デミオでまた(2014-2015 日本)カー・オブ・ザ・イヤーを取りましたね。
【藤原】そうです。それでロードスターでまた受賞(注:2015-2016 日本カー・オブ・ザ・イヤー、2016 ワールド・カー・オブ・ザ・イヤー)。これで私も卒業だと(笑)。
――ただ、その分これから高い期待に応えていかなくちゃならないですよね?
【藤原】期待されすぎて倒れそうですよ。
――マツダはこれからも変な会社であり続けないといけない。それも大変ですよね。変な会社であり続けることは、ものすごく難しいんじゃないですか?
【藤原】難しいです。30代後半から40歳くらいのエンジニアを集めて大事に育て、次のリーダーを作っていかなくてはなりません。そういう世代のグループを意図的に集めてチームを作らせています。
――楽しそうですね。
【藤原】楽しいです。
――その前には散々地獄の時代があったわけですからね。
【藤原】私がいる時代には二度と地獄は見たくないです。
――何かその後なら良いみたいじゃないですか?
【藤原】あはは! その後は知りませんよ。
→ マツダ「目標を追わず理想をめざす」理由:藤原清志専務インタビュー(前編)http://president.jp/articles/-/22346