「世界をひっくり返すことが好き」

【池森】「高いから効く」と錯覚させるような、非常に不健康な世界。調べてみると、原価率が5%のものもあった。これは「おかしいじゃないか」とサプリメントに興味を持ったのです。私は基本的に世界をひっくり返すことが好きなものですから。

【弘兼】起業家魂ですね。

【池森】我々の会社は女性の肌を美しくすることを目標にしていました。ただ、本当に化粧品だけで綺麗になるのだろうかという疑問がずっとありました。つまり身体の内側からも肌を綺麗にする、「内外美容」という発想です。

【弘兼】ただ、あの頃の健康食品というのは、胡散臭いというか、あまりいいイメージがありませんでした。

【池森】そこで我々は「サプリメント」という言葉を日本ではじめて使うことにしました。元読売ジャイアンツの原辰徳さんにイメージキャラクターとなってもらい、健康食品の印象を一気に変えようと思ったのです。

【弘兼】「サプリメント」を日本で広めたのは池森さんだったのですね。

【池森】サプリメント販売には社会的意義もあると考えていました。日本の食生活は豊かになったものの、成人病が非常に多い。それにより医療費が高くなり、国の財政を圧迫している。要は足りていない栄養素があるということなので、そこを徹底的に研究しなければ、と考えたのです。我々はすでに化粧品部門で研究室を持っていました。サプリメント部門をはじめるにあたって、研究員を大々的に募集しました。我々の商品はアメリカのコピーではなく、日本発の技術なのです。現在、サプリメントの研究では我々は世界でもトップクラスだと自負しています。

【弘兼】化粧品とサプリという2本柱で、99年に東証一部に上場します。池森さんは2003年に会長、そして05年に名誉会長となって、経営の第一線から身を引きました。

【池森】創業者がいつまでも粘って会社にい続けてはいけない、格好よく退きたいという想いがありました。50歳過ぎから、「65歳で退くよ」と社員には言っていました。そして言葉通りに退きました。しかし、オーナーが会社を退くときは、次の後継者は慎重に選ばなければならない。私の場合は、後継者が社内に育っていなかったものですから、社外から来てもらった。仲がいい、親しいということで任せたのですが、次第に齟齬が生じてきた。

【弘兼】オーナー社長と後継社長とでは経営手法は当然違ってきます。

【池森】一生懸命やってくれたことは間違いありません。ただ、4年間という契約で社長をお願いしていました。そうなると、4年という任期の中で成績を上げたいと思い、5年後、10年後に目を向けなくなってしまう。製造業というのは、特に中長期計画が必要なのです。