「松本サリン事件」の“松本”を曲解していた人
過去にあった大きな出来事について、自分なりに語り継ぐということを意識し始めたきっかけのひとつは、長野県松本市へ行ったときの経験である。
オウム真理教は、長野地方裁判所松本支部官舎を狙い、化学兵器として用いられる神経ガスのサリンを撒いた。これにより事件直後に7人が死亡(最終的には8人が死亡)した。官舎の脇を歩いていたとき、私が「ここが1994年夏に起きた松本サリン事件の舞台となった場所ですよ」と同行していた30代前半の女性に伝えたところ、彼女は「えっ? どういうことですか?」と聞き返してきた。
私は彼女の質問の意味が分からなかったので「いや、どういうことってどういうことですか?」と尋ねた。すると彼女はこう言う。
「オウム真理教の教祖だった麻原彰晃の本名は松本智津夫であり、オウムの一連の事件はその松本が首謀者だから『松本サリン事件』というのだと思っていました」
松本が首謀者だから「松本サリン事件」?
つまり、「松本サリン事件」という上位概念がまず存在し、その下に「地下鉄サリン事件」があると思っていた、というわけだ。私が「松本市で死傷事件があったから『松本サリン事件』と言うのですよ」と答えると、彼女は「えっ? ウソでしょ? 本当ですか?」とスマホで検索をはじめた。そしてほどなく、「あっ、本当ですね……。そういうことだったのですか……」とようやく納得したようだった。
彼女は松本サリン事件の発生当時、11歳だった。それを思えば、このような曲解もやむを得ないのかもしれない。とはいえ大人になった現在、それなりに社会問題に興味を持っている人物であり、職業はライターなだけにそれなりに知識が求められる仕事をしているのだが、認識としてはこの程度だったのだ。しかし、それを「無知」と断じたいわけではない。各人が生きた時代や経験に応じ、知識や記憶の差はあるというだけの話だ。そしてだからこそ、人はきちんと過去の事実を把握しようとする姿勢を持つべきだし、できれば当時の世相や空気感も知っておいたほうがいいということだ。