何事も「人による」のは大前提
前回、「なぜ大阪人は東京人より親しみやすいのか(http://president.jp/articles/-/21933)」というコラムを当サイトで書いた。内容としては、講演やイベントでは大阪の人が実に親切であり、感情をあらわにしてくれ、気軽に話しかけてくれる、というもので、大阪の人に対する私の感謝の念を示したものだ。
この文章はヤフーにも配信されたのだが、「そう思う」の数が多いコメント(=評価が高いコメント)の3位は、「(大阪人が一概に親しみやすいわけではなく)人による」という内容の書き込みだった。
多くの場合、コラムというものは書き手が実際に体験した出来事などをもとに、「絶対化はできないかもしれないが、私の体験した限りでは」といったスタンスで、書き手の視点や指摘が語られる。前回のコラムも同様に「大阪人は東京人より親しみやすい」という私なりの結論を述べた。細かいことを言えば、「初対面の場合」「イベントで講師をした場合」といった前置きをしておくほうが、より正確ではある。ただ、そこまでの厳密さは不要だと判断した。
今回の「人による」という反応だが、このコメントが上位にいるというのは、この分析というか感想というか、脊髄反射的な書き込みが「優れた論評である」との評価を、多くの人がしたということである。或いは共感した人が多かったのだろう。
だが、「○○による」を連発するとバカだと思われるので注意が必要だ。
「人による」のは大前提であり、私だって「全ての大阪人は全ての東京人よりも親しみやすい」なんて、まったく思っていない。「イベントに登壇し、それが終わった後に来場者と初対面で接した場合、なぜ大阪人は東京人よりも親しみやすいのか? 私が出会った約120人の、土曜の午後にイベントに足を運ぶような、それなりにアクティブな大阪人の場合」とより詳細なタイトルをつけたとしても、「場合による」「これは特殊な状況。人による」という感想は来るだろう。