テレビのワイドショーにとって「おいしい」事件

それでは、一連のオウム事件の空気を振り返ってみたい。

オウムの事件としては、1989年に「坂本弁護士一家殺害事件」があった。ただし、疑惑はあったものの、1995年3月の「地下鉄サリン事件」まで、オウムの仕業だと結論づけられてはいなかった。1994年6月の松本サリン事件も同様である。

松本サリン事件については、事件現場の近くに住む第一通報者の会社員・河野義行さん宅で化学薬品が発見されたことから、警察は河野さんを重要参考人として厳しく取り調べた。マスコミも河野さんを疑う報道を多数行った。まさにメディアスクラムの被害者である。

あるテレビ番組では、芸能人のコメンテーター(今もこの人物は活躍中)が「この人が怪しいに決まってるじゃないのよ!」などと発言する始末。結局、地下鉄サリン事件発生により山梨県上九一色村の教団施設に強制捜査が入るまで、一連の事件がオウムによるものとは断定されていなかったのだ。さまざまな拉致や殺害事件がオウムによるものであることが次第に明らかになっていった際、「まさか1990年代の日本にこんな狂暴なカルト集団がいたなんて……」といった驚きを持って受け止められた。

ドラマ以上にドラマチック

また、オウムについては、あまりにもテレビのワイドショーにとって「おいしい」材料が多過ぎた。麻原彰晃の風貌・発言に加え、スポークスマンの上祐史浩氏や弁護士の青山吉伸氏といった幹部たちの理知的な受け答え、「走る爆弾娘・菊地直子」や「オウムの殺人マシーン・林泰男」といった異名のキャッチーさ、「ミラレパ」や「アーナンダー」といった耳慣れないホーリーネーム、政府を模したような教団の組織形態など、ドラマ以上にドラマチックな彼らに日本中が釘付けとなった。

この頃からテレビの情報番組では、ジャーナリストや弁護士の活躍がとみに目立つようになる。オウムと対峙した紀藤正樹弁護士、伊藤芳朗弁護士、さらには麻原の「空中浮揚」を再現してみせた滝本太郎弁護士らが頻繁にテレビに出演。オウム問題を追いかけた有田芳生氏、江川紹子氏といったジャーナリストも“時の人”となる。

当時、私は大学生だったのだが、8時30分から始まる1限の開始直前──8時15分あたりまで情報番組を家で見て、それから自転車をとばして8時27分に教室に着いた後は、教室にいる学友とオウムについて「(教団幹部だった)村井秀夫が報道陣の前で刺殺されたね」「麻原は今、どこにいるんだろう」などと語り合うのが日課になっていた。ランチ時もオウムの話が日常会話のテーマとなっていた。

また、オウムは活動資金稼ぎのために、東京・秋葉原でパソコン販売店の「マハーポーシャ」を経営しており、我々学生のあいだでは「マハーポーシャのPCは安いわりに性能がいい」といった声も出て、半ばネタと化していた。今の40代にとって、オウム事件は人生最大のインパクトがあったニュースといえよう。