――外山さんは、何歳くらいでそのことに気がついたんですか?

僕は若い頃からそうでした。長い間英語教師をしていましたが、他の教師が一生懸命本を読んでノートを取っているのを見て、「そんなことをしていても、本より先に進めない」と思った。30代で気がつけるといいんですが、難しいですね。せめて40歳からは、人の真似をせずに自分用のガソリンを見つけて給油していかないといけない。

――ですが、この『知的な老い方』を読んで外山さんのやり方を真似しようとする人が多いからこそ、本がヒットしているのではないでしょうか。

『知的な老い方』(だいわ文庫)

それはね、ダメですね。むしろ反発して「こんなやり方は違う」「自分はこうやっていく」と、そういうふうに読んでもらいたい。100%信用するのではなく、他山の石とする。「つまらないじゃないか」と読んでもらったっていい。一種の処世訓みたいなもので、大真面目に実行するのはダメですよ。自分の生き方はあくまで自分で作る。失敗したっていいんですよ。むしろ、サラリーマンの人は失敗するチャンスを与えられていなさすぎる。失敗から学んで乗り越えてこそ、新しい自分が生まれるんです。

――著書によれば、外山さんご自身も、78歳で出版社起業に奔走されたそうですね。結局、人材の都合によって最終局面で断念された、と。

寿命が長くなって、誰でも80歳くらいまでは生きる今、60〜70代までに知的に落ち込まないで済むかどうかがその後を分けるようになっています。歳を重ねるに従って、自分の人生を改造する努力をめいめいが考えないといけません。昔のように60歳くらいでみんな死んでいれば、そんなことは考えないで終われるけれど、今はそこから第二レースが待っている。60歳くらいではまだピンピンしているけど、会社にいられるのは長くてあと5年。その後も20年くらい生きるとなると、何をしていいかわからないままではすぐ病気や認知症になります。これは僕の周りの実例からいっても、間違いない。社会保障費がかさんでしかたないし、本人たちも幸福ではないでしょう。

――確かに、「どうやって知的に老いるかではなく、そもそもそんなに長生きしたくない」という人も多いです。

長生きというのも考えものです。80歳くらいまではいいですけど、90歳過ぎたら「生きすぎ」ですね。僕なんかもそうです。100歳まで生きて喜んでいるのは阿呆ですよ。死ぬのは怖いですが、死なないのはもっと怖い。自分のためにも、社会のためにもなりません。聖路加国際病院の日野原重明は「100歳を超えても現役医師」なんて言ってますが、ああいうのは馬鹿です。年をとっても若い頃と同じ仕事にしがみつくのはくだらないことですよ。若い人に道を譲って、自分は自分にしかできないことを見つけて、そこで失敗しながら勉強していく。そうして初めて、知的に老いたといえるんだと思います。

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