各部門の部長補佐級を中心に、約80人にインタビューし、広く意見を集めた。一方で、住化のように多様化している企業と全く専業の企業の双方に、どんな組織と権限になっているか、聞かせてもらう。普段は競争相手でも、異業種の会社も、快く応じてくれた。そうして集めたデータをもとに、チームで重ねた検討会は24回。出した結論が「経営システムの問題は単に組織の見直しにとどまらず、経営管理システムというソフト面の再構築、より根本的には個々人の意識の変化が不可欠」だ。

提言では、多様化する事業、グローバル化の進展による巨大化、機会重視の3点に適応を求めた。実現には、市場別や製品別に戦略を立てて展開する必要があり、本社に集中する裁量権を事業部門に大きく委譲するべきだ、と説く。業績の評価方法や人事の在り方の見直し、全社活性化のためにフレックスタイムや長期のリフレッシュ休暇の新設にも、踏み込んだ。

画期的な内容だったが、1913年に創業した伝統を持つ企業では「あまりに過激」とされた。とくに、権限が減り、存在価値を問い直される本社内の反発が強い。でも、すべて「正しいか、正しくないか」を基準に、まとめた。しかも、85年9月の「プラザ合意」以来の円高で、国際競争力が大きくそがれていたし、韓国勢や中国勢の追い上げも急で、大胆な改革は待ったなし、と思っていた。

リーダーも、社内で論陣を張ってくれた。だが、最後に「あれでダメというのではなく、もう少し待ってくれ」とチームに頭を下げ、提言は寝かされる。ちょうど現業部門へ出たくなっていたので、手を上げて、染料などを手がける精密化学品の管理部へ異動する。東京で3年務め、次号で触れるベルギーでの技術サービス付き染料販売に赴任することが決まり、染料事業がある大阪へ勉強に出た。

その大阪にいた94年4月、全社の組織改革が行われた。内容は、あの提言とほぼ同じ。前年に就任した新社長が、眠っていた提言を表に出し、断行してくれた。この改革が、いまも会社の基盤となっている。「正しいか、正しくないか」を貫く大切さと、自由にやらせてくれたリーダーが示した「指揮官の振る舞い方」も、学んだ。

「處事不可有心」(事を處するには心有るべからず)──事を処すときは、それが正しいか正しくないかのみを考え、利害や名誉かどうかなど他のことは考えてはいけない、との意味だ。中国・南宋の朱熹の撰『宋名臣言行録』にある言葉で、組織改革で貫いた十倉流は、まさに、この教えと重なる。