ニーズは消えたのではなく、シフトした

日本経済の成長期は、国内人口の拡大期でもあった。人口が伸びれば、需要も拡大する。この時期の日本企業の課題は、拡大する需要に向けて、いかに安定して商品を供給するかにあった。

しかし、その後の国内のマーケティング環境は大きく変化する。現在の日本は、総需要が伸びない停滞の時代にある。人口動態の基調は、少子高齢化だ。そこをデジタル化やグローバル化という横波が襲う。

この時代における企業のひとつの成長機会は、シフトしていく需要の取り込みにある。たとえば、店舗購買からeコマースへのシフト、外食から中食へのシフトなど、拡がらない市場のなかでも、消費のありようは時間とともに変化していく。

ここに、今の時代の事業を成長に導く余地がある。シフトする需要を見逃さずに取り込んでいけば、停滞する国内市場のなかにも確実に成長の機会はある。だが、かけ声をかけるばかりでは、組織は動かない。

自社のマーケティング課題を、このように見定め、腰をすえて改革に取り組んだ企業がある。総合旅行企業の雄、JTBである。

かつての旅行市場において、大きなボリュームをなしていたのは、セット型の旅行商品だった。日本の経済成長期には、職場旅行が盛んであり、個人旅行でもパッケージツアー(JTBであれば、国内旅行の「エース」や海外旅行の「ルック」などの募集型企画旅行)が人気を集めた。

セット旅行を主力商品とした総合旅行企業の成長は、1990年代に入り、頭打ちとなる。要因は、国内の人口動態の基調の変化だけではない。旅行者が求める商品やその購買方法のシフトが、この時期から次々と起こる。背景には、インターネットの普及とグローバル化の進展があった。

そのなかでJTBもまた、販売の低迷を余儀なくされる。問題はニーズがなくなったことではなく、そのシフトにあった。人々が旅行を楽しまなくなったわけではない。旅行のあり方が変化したのである。

セット旅行は、1980年代までの市場環境に適した旅行商品だった。旅行者からすれば、セット旅行は、移動や宿泊の手配を一つひとつ行う必要がなく、利便性が高い。当時はまだインターネットはなく、これらの手配には、電話やファックスを用いたり、窓口に出向いたりする必要があった。加えてセット旅行には、もうひとつの大きな利点があった。大量仕入れを活かした価格面での優位性である。

歴史的にセット旅行は、旅行産業のひとつの重要なイノベーションだった(高橋一夫編『旅行業の扉』碩学舎、2013年)。セット旅行を大量に供給しようとすれば、あらかじめ行程を組み、需要を見込んで、交通や宿泊や食事などの手配を済ませておく必要がある。この役割をになうのが総合旅行企業であり、その革新性は、旅行者からの注文を受けての手配ではなく、事前仕入れを大規模に行う点にあった。この規格化された早期の大量仕入れが、有利なレートを交通機関や宿泊施設や観光施設から引き出した。

セット旅行の強みは、規模の経済を導くことにあり、そこでは、単一で巨大なマーケットに向けて、均質なサービスの仕入れと販売を大規模に展開する企業が有利となる。小回りは犠牲になってもよい。セット旅行の時代に求められていたのは、全国一律の展開を進める集権型のアプローチだった。