戦後より戦前のほうが凶悪犯罪は多かった
普遍主義と共同体主義の相克は、21世紀の今日、グローバリズムとナショナリズムのそれにあたる。
日本は、厳しいグローバル競争に勝ち抜くため、世界に通用する人材を育成しなければならない。その一方で、国際政治の基本単位である、国民国家を担う国民も育成しなければならない。理想の日本人像の構築は、今日も英知を結集して取り組むべき、たいへん重大な課題である。
それなのに、「君が代」や軍歌を歌い、「教育勅語」を暗唱し、天皇皇后の写真を飾れば愛国心が養えるなどと考えるのは、あまりに安直すぎはしないか。戦前風の記号を継ぎ接ぎすれば、それらしい「愛国教育」ができあがる。これは、左翼的な教育が強かった55年体制下にはアンチテーゼとしてありえたかもしれないが、いまとなっては時代錯誤にすぎない。
森友学園の「愛国教育」を支持するものは、いまいちど、戦前風の記号をひとつひとつ取り出し、本当に現代社会で役に立つのかどうか、しっかり検証する必要がある。
たとえば、「教育勅語」を復活させれば、凶悪犯罪はじめ、さまざまな社会問題が解決するという主張が昔からあるが、いうまでもなく空論である。すでに述べたとおり「教育勅語」は日本が弱小国だった時代の産物であり、明治後半には見直しの動きがでていた。社会がより複雑になった今日では、到底通用しない。そもそも「教育勅語」が暗記されていた時代のほうが、現代より凶悪犯罪も多かった。たんなる復古主義で社会問題が解決すれば苦労はない。
教育はよく国家百年の大計といわれる。グローバリズムにも、ナショナリズムにも、あるいは新たな時代の局面にも、臨機応変に対応できなければならない。「教育勅語」によい部分があるというのならば、それをいかして新しい文書を作ればよい。