日本で「学歴社会」が成立したわけ
中学受験シーズンが終わり、各塾が競うように合格実績を掲げている。
日本全国には約5万軒の塾があると言われている。東大生の約85%、早稲田・慶應・一橋を含む主要難関大生の約95%が塾通いを経験しているというデータがある。2009年に東大家庭教師友の会が実施したアンケートの結果だ。日本の学力トップ層の少なくとも9割前後は塾に通っていることになる。日本の「頭エリート脳」は、塾なしには育たないのが現実だ。
一方で、受験競争を煽るものとして、世間一般の塾に対する印象はあまり良くない。しかし塾が勝手にできるわけがない。世の中のニーズに応える形で発展した経緯がある。塾は、日本の教育の平等性の産物であり、学校教育を陰で支えるパートナーでもあるのだ。
好景気による知的生産層の拡大で、1970年代に日本の高校進学率は9割を超えた。それは、全国津々浦々に教育が平等に行き渡ったことを意味している明治維新以来の念願であった。
一方、日本の教育制度は単線型といわれている。小学校、中学校、高校、大学と、進学のルートはほぼワンパターンである。学ぶ内容も、学習指導要領と検定教科書によって、全国で標準化されている。つまり同世代のほぼ全員が、基本的に1本のレールの上を行く。バイパスはない。
しかしテストをすれば当然点数に差がつく。順位が生まれる。
平等な環境が与えられているはずなのに、隣の生徒より得点の低い者は努力不足ということになる。逆に言えば、テストで人より良い点を取った者はそれだけ努力をしたのだから、報われて当然という理屈が成り立つ。それはさらに、偏差値が1つでも高い者が偉い、偏差値が高い学校のほうが上等という価値観をもたらす。こうして「学歴社会」が確立した。